レスラー人生の集大成はもう間もなく
東京・後楽園ホールを舞台に、2019年6月26日に開催される『POWER HALL2019~New Journey Begins』。この試合で現役生活に終止符を打つのが、“革命戦士”こと長州力だ。
在日韓国人2世(2016年に帰化)として山口県に生まれた長州は、大学3年の1972年にレスリング韓国代表としてミュンヘン五輪に出場。その実績を引っ提げ、1973年12月に新日本プロレスへ入団した。その後海外武者修行を経て1982年に帰国すると、“炎の飛龍”藤波辰巳(現在は辰爾)との抗争で一躍トップレスラーの仲間入りを果たした。
これ以降もジャパンプロレス立ち上げ、全日本プロレス参戦、新日本プロレス復帰と目まぐるしい時代を歩んだ長州は、1998年1月4日の東京ドーム大会で一度目の引退。しかし、2000年7月30日の大仁田厚戦で現役復帰を果たすと、WJプロレス旗揚げ、新日本プロレスをはじめとした各団体への参戦、『LEGEND THE PRO-WRESTLING』立ち上げなど現在に至るまで精力的な活動を続けてきた。
そのレスラー人生の集大成となる試合で、長州が相見えるのはライバルであり盟友の藤波。長州は長年苦楽を共にした越中詩郎、自身の愛弟子である石井智宏と組み、藤波はこの試合が1年3か月ぶりの復帰戦となる武藤敬司、新日本プロレス時代に長州の付き人を務めた真壁刀義とそれぞれ3人タッグを結成し、60分1本勝負の6人タッグマッチに臨む予定となっている。
立見席も含めて全席完売の引退試合は、既に全国の映画館27会場でライブ・ビューイングが行われることも決定している。長州がどのような“引き際”を見せてくれるのか、全てのプロレスファンが注目する一戦はもう間もなくだ。
3年連続の年間最高試合賞
約45年に渡りリングに上がり続けてきた長州は、これまでに数々の名勝負を演じている。もちろん、人によって思い入れのある試合は異なるだろうが、今回は東京スポーツ新聞社が毎年発表している『プロレス大賞』において、3年連続(1983年~1985年)で年間最高試合賞を獲得した3戦を改めて以下に紹介していきたい。
・対藤波辰巳(1983年4月3日/WWFインターナショナルヘビー級王座戦)
当時人気・実力ともに先行していた藤波に、長州が「かませ犬発言」とも呼ばれる下剋上宣言を行ったのは自身の凱旋帰国試合(1982年10月8日)でのこと。これを機に両者の抗争がスタートしたが、長州はシングル2戦で白星無し(敗北1・無効試合1)と藤波を下すことはできていなかった。
しかし、迎えた3度目の一騎打ちで、長州は藤波から悲願のピンフォールを奪取。試合後に口にした「俺の人生にも、一度くらいこんなことがあってもいいだろう」という言葉は、多くのファンの間で今なお名言として語り継がれている。
・対アントニオ猪木(1984年8月2日)
東京・蔵前国技館を舞台に行われたこの一戦。同年9月の大相撲秋場所を最後に国技館が現在の両国へと移転したため、新日本プロレスとしてはこれが蔵前国技館での最後の興行となった。
前年に「維新軍」を結成してから、猪木と戦うのはこれが3度目となった長州。結果的にはコブラツイストからフォール負けを喫するも、ラリアット、サソリ固めを交えた攻防は“蔵前最終戦”にふさわしい名勝負と評価されている。
・対ジャンボ鶴田(1985年11月4日)
前年に新日本プロレスを退団した長州は、ジャパンプロレスの旗揚げと並行して全日本プロレスへ参戦。そこで生まれた名勝負が、時のエース・ジャンボ鶴田との一戦だ。
60分フルタイムでのドローとなった試合は、鶴田が長州を逆エビ固めで攻めるところでゴング。試合後に客席へアピールする余裕も見せた鶴田の方が優勢だったとされているが、息を切らしながら長丁場を戦い抜いた長州を評価する声も根強い。
以上で挙げた試合以外にも、多くの名勝負をファンに見せてくれた長州。今回の引退試合が多くの人に惜しまれているのも、こうした激闘の歴史を積み重ねてきた賜物であることは間違いないだろう。