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【新日本プロレス】飯塚高史の引退から見た覚悟の形

プロレスリング,ⒸShutterstock.com
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目立たなかった最初の20年

かつてこのような引退試合があっただろうか。ゆかりの選手からの花束贈呈なし。ファンに向けての挨拶もなし。雑に鳴らされるテンカウントゴング。リングの上には誰もおらず、逆に観客席で暴れながらバックステージへと姿を消したのが今回の主役、飯塚高史である。最後まで怨念坊主を貫き通した彼のヒールっぷりは、覚悟を決めた男にしかできなかったのではないだろうか。

1986年から2019年まで現役を続けたということは、プロレスブーム絶頂期の闘魂三銃士、nWo JAPANブームの時も彼はリングにいたということになるが、目立った活躍はできなかった。

顔は男前、体つきはザ・プロレスラーといっていいほどの筋肉質、サンボの技術は一流で、新日本プロレスの選手会長を務めるくらい人望も熱く、トップレスラーになるための要素はそろっていた。だが、致命的な欠点があった。それが地味さ。お世辞にもマイクパフォーマンスがうまいとは言えなかったし、華々しさは一切なかった。デビューから約20年経った時に、人気レスラー天山広吉との「友情タッグ」を結成し、ブレイクのチャンスが回ってくるも、そこでもパッとしなかった。

「飯塚、野上抗争」

飯塚が何かを変えようととった行動がヒール転向。くすぶっている選手がベビー(善玉)からヒール(悪玉)に転向することは珍しいことではないが、デビューから20年以上経っている選手がやることではないし、特に他の選手と違ったのが何もしゃべらなくなったことだった。あれ以来「怨念坊主」となり、何かに取りつかれたかのように暴れ回った。もちろん人前で話さなくなったし、雑誌のインタビュー記事はなし。

また、声を発さなくなった代わりなのか、テレビ朝日の野上慎平アナウンサーを襲うようになった。マイクパフォーマンスがうまくなかった飯塚にとって、憎たらしい存在だったのだろう。野上アナは飯塚の試合の実況のたびに着ていた服をやぶられ、裸にネクタイのスタイルで挑んだ。時に突き飛ばされ、半泣きになりながらも、プロレス実況をさせたら日本一のアナウンサーへと名を馳せていった。

飯塚引退試合から見た覚悟の形

今年最大のイベント、1.4東京ドームが終わった3日後、新日の菅林直樹会長から飯塚が引退することが発表された。かつてのパートナー、天山が引退試合まで何度も説得するも、飯塚との「友情タッグ」を再結成できなかった。

迎えた引退試合。入場時に恒例の客席で暴れ回ることから始まり、野上アナを襲撃し、裸にネクタイの格好にした上で、いざリングへ。

相手は天山と、かつていたユニットCHAOSのオカダ・カズチカ&矢野通組。現在、飯塚が所属するユニット「鈴木軍」の鈴木みのる&タイチと組んでの対戦となった。飯塚はベビー時代に見せたスリーパーフォールドや膝十字固めを繰り出すも、最後は天山のムーンサルトにより、スリーカウントを取られ敗戦。

試合後に天山が最後の説得をし、握手をするところまでいったが、目を覚まさず。逆に、天山にお得意のかみつき攻撃からの、必殺反則技アイアンフィンガーをお見舞いしリングを降りた。タイチの「本当に今日で辞めるのか最後くらい自分の口で言え」という声も届かず観客席を暴れ回る飯塚。見かねた鈴木のお世辞にもきれいとはいえないテンカウントゴング。それを聞いたか聞いてなかったかも分からないくらいに散々暴れた挙句、いつものようにバックステージへと帰っていった飯塚であった。

一瞬あっけにとられたが、最後に華を添えたのがリングを去った後の野上アナの数々の言葉と、リングに誰もいないにもかかわらず、帰らない観客の飯塚コールだった。 引退試合の主役が何も話さなかったのはかつて見たことがない。ただ、飯塚は10年前に決めた覚悟を最後まで貫いた。不器用な男の最後から、何か大切なものを学んだ気がする。