3月12日に採火式、野口みずきさんが最初の日本人ランナー
東京五輪の聖火リレーは3月12日に古代オリンピック発祥の地、ギリシャ西部オリンピアのヘラ神殿跡で採火式が行われ、いよいよスタートする。
伝統的な儀式で古代の衣装を着た巫女役の女優が反射鏡で太陽光を集めて火を採り、第1走者の2016年リオデジャネイロ五輪射撃女子金メダリスト、アナ・コラカキ選手(ギリシャ)のトーチに点火。2番目は開催国から選ぶのが慣例で、2004年アテネ五輪女子マラソン金メダルの野口みずきさんが日本人最初のランナーとなる。
1936年ベルリン大会で国威発揚狙う
意外と知られていないが、五輪の歴史で平和のシンボルとなる聖火は1924年パリ大会まで存在せず、1928年アムステルダム五輪でスタジアムの外に塔を設置し、火を灯し続けたのが誕生の契機とされる。聖火リレーが初めて登場したのは国威発揚を狙ったアドルフ・ヒトラーのナチス政権下で開かれた1936年ベルリン大会だった。
「五輪の古代と近代をオリンピアの火で結ぶ」という壮大なアイデアを考案したのは当時のベルリン五輪組織委員会事務局長だったカール・ディーム博士(スポーツ史)。レニ・リーフェンシュタールによる記録映画「民族の祭典」「美の祭典」でも一部描かれているように、オリンピアを7月20日に出発し、約3000人の走者がブルガリアやハンガリー、オーストリアを横断して約3000キロをつなぎ、8月1日にベルリンに到着する一大イベントになった。
一方で真偽はさておき、聖火リレーにはナチスの軍事偵察の意図が隠されていたとの説も根強くあり、ナチスの反ユダヤ主義に反対するボイコット運動も起きたといわれる中、まさに歴史の皮肉といえそうだ。
第2次世界大戦後に再開された1948年ロンドン五輪では聖火リレーの再開を巡り議論となったが、継承が決まり、五輪憲章にも定められた。
冬季五輪は1952年オスロ大会から
冬季五輪の最初の聖火リレーは1952年オスロ大会だった。国際オリンピック委員会(IOC)の資料によると、採火式はオリンピアでなく、ユニークな方式で近代スキーの父といわれるソンドレ・ノルハイムの生まれ故郷、ノルウェーのモルゲダールで実施。夏季五輪と同じくオリンピアで採火されるようになったのは1964年のインスブルック大会からだ。
1964年東京五輪の最終走者は坂井義則さん
1960年ローマ五輪で初のテレビ中継が行われ、聖火リレーの日数や参加ランナーの規模も時代の流れで拡大していく。
日本初開催の1964年東京五輪では原爆が広島に投下された1945年8月6日に広島県で生まれた坂井義則さんが最終ランナーを務め、開会式で聖火台に点火した。
1972年札幌冬季五輪の国内聖火走者は15歳から20歳の若者から選ばれ、当時高校1年の高田英基さんが最終走者となった。1998年長野冬季五輪ではフィギュアスケート女子のスター選手、伊藤みどりさんが聖火台に点火している。
水中や宇宙リレー、ロボットも登場
近年の五輪はテクノロジーの進歩に伴い、聖火を運ぶ方法も列車やロボットを使うなど趣向を凝らし、多様化が進んでいる。2000年シドニー五輪では、水の中でも燃え続けるトーチを使い「水中リレー」が実現。2014年冬季ソチ大会では宇宙飛行士がトーチとともに宇宙遊泳をして話題を呼んだ。
世界最高峰のチョモランマ(英語名エベレスト)山頂にも登頂した2008年北京五輪では政治上の問題から各地で妨害行為が起き、現在は国際ルートが廃止されている。
国内リレーは「なでしこ」からスタート
オリンピアで採火され、ギリシャ国内をリレーした聖火は3月19日のアテネでの引き継ぎ式を経て、3月20日に宮城県東松島市の航空自衛隊松島基地に届く。
日本でのリレーは3月26日に福島県のサッカー施設「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)からスタート。最初のランナーはサッカーの2011年女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会優勝メンバーの「なでしこジャパン」が務める。
富士山の5合目を走ることも決まっており、広島県と大分県では武芸の一つとして古くから伝えられてきた日本泳法で火を運ぶユニークな演出も。日本各地で船や鉄道、スキー、馬でも火を運ぶなど趣向を凝らし、7月24日の開会式まで121日かけて47都道府県を巡る。