アスリートから森氏の辞任求める声も
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言とその後の謝罪会見を巡り、国内外で批判が拡大している。
陸上男子400メートル障害の世界選手権銅メダリストで五輪に3度出場した為末大さんは2月8日、自身の公式サイトで「私はいかなる性差別にも反対します。そして、理事会での森会長の処遇の検討を求めます」と意見を表明した。
元首相の森氏は政財官の幅広い人脈を生かして日本体育協会(現日本スポーツ協会)会長や日本ラグビー協会会長を歴任し、ラグビーのワールドカップ(W杯)や五輪招致にも尽力したスポーツ界の重鎮。「調整型のリーダー」として国際オリンピック委員会(IOC)バッハ会長との信頼関係も築き、組織委内では「森さん以外できない」とスポンサーからの資金集めや政府とのスムーズな調整に期待も高い。
だが今回の不適切発言は「五輪憲章が掲げる男女平等の理念に反する」として、日本に駐在する欧州各国の大使館なども「男女平等」「黙っていないで」といった呼び掛けでSNSに投稿。大会組織委や東京都には抗議の電話が殺到し、ボランティアから辞退の申し出や引責辞任を求める意見も出ている。新型コロナウイルス禍で開催可否が問われる東京五輪はまさにダブルパンチで大揺れだ。
それでは歴代の五輪組織委トップを振り返ると、どんな顔触れなのか―。半世紀前の1964年東京五輪は2年前に異例の辞任劇もあった。直近2大会ではIOCに顔が利くスポーツ界の「顔」である元アスリートが大役を務めている。
ロンドン五輪は元スター選手のセバスチャン・コー氏
近年の夏季五輪の組織委会長(大会開催時)を見ると、2012年ロンドン五輪は元陸上選手のセバスチャン・コー氏が当時55歳の若さで大会を成功に導いた。
陸上男子1500メートルで1980年モスクワ、1984年ロサンゼルス五輪と連覇した元スター選手。引退後は政界に転じて国会議員を務め、英国オリンピック委員会の元会長でもある。2015年に国際陸連(現世界陸連)会長にも就任した。次期IOC会長との呼び声もある。
2016年リオデジャネイロ五輪の組織委トップは元バレーボール選手のカルロス・ヌズマン氏。リオ五輪招致の買収疑惑で資金提供の「仲介役」を務めたとして起訴されたが、1964年東京大会にも出場した元スポーツマンでもあった。
アテネ五輪は夫が海運王の「女神」
2008年北京五輪は政治家の劉淇氏が会長。2004年アテネ五輪は大会を支える「女神」として組織委は元国会議員で、夫がギリシャ有数の富豪である海運王のヤナ・アンゲロプロス氏が女性でトップを務めた。
2000年シドニー五輪はニューサウスウェールズ州政府の五輪担当相も務めていたマイケル・ナイト氏が会長を務めたが、大会直前まで人事を巡って内紛が相次いだ。
1964年東京大会は財界の安川第五郎氏
国内に目を転じてみると、1964年東京五輪は、大会2年前の10月に元大蔵大臣で大会組織委の津島寿一会長、元日本水泳連盟会長で新聞記者でもあった田畑政治事務総長がそろって辞任。1962年ジャカルタ・アジア大会でホスト国のインドネシアが台湾とイスラエルの参加を拒否し、IOCがこの大会を正規な競技大会と認めないという姿勢を打ち出したことで日本選手団の参加を巡る対応に批判が集まった。混乱の責任を取る形で役職を辞している。
1963年2月、空席だった大会組織委会長の椅子に座ったのは安川電機の創業者、安川第五郎氏。安川電機社長、会長を歴任、九州電力、日本原子力発電会長も務めた重鎮でもあった。
JOCの資料によると、開会式では「待望久しい第18回オリンピック競技会が、本日より開催されることになりましたことは、誠に喜ばしい限りであります。本年は近代オリンピック復興70周年にあたりますので、これを記念し近代オリンピックの父クーベルタン男爵のありし日の声を皆様とともに拝聴し、氏の偉業を想起いたしたいと存じます」と挨拶している。
札幌、長野冬季五輪のトップは元経団連会長
日本で冬季五輪が開催された1972年札幌大会は財界人で日本航空やフジテレビ会長も務めた植村甲午郎氏、1998年長野大会は実業家で新日鉄社長や日本ハンドボール協会会長も務めた斎藤英四郎氏がトップを務めた。それぞれ経団連会長経験者の重鎮でもある。
サッカーの2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会では日本組織委会長を東京電力元会長の那須翔氏が務めている。
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