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40年周期でトラブルとなる五輪の歴史…延期、ボイコット、戦争、大混乱

2020 3/31 11:00田村崇仁
イメージ画像ⒸStreetVJ/Shutterstock.com
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2020年は新型コロナで史上初の延期

新型コロナウイルスの世界的な感染拡大で2020年東京五輪・パラリンピックの史上初の延期が3月24日、決まった。ウイルス終息が見えない中、各国選手も練習環境がなく、賢明な決断といえたが、オリンピックの歴史を振り返ると、皮肉なことに40年周期でトラブルに見舞われる。

麻生太郎財務相は3月18日の参院財政金融委員会で、東京五輪・パラリンピックの延期や中止の懸念が高まっていることに関連し「呪われたオリンピック」と発言。開催に向けて準備を進めるアスリートや関係者の気持ちを傷つける可能性があるとして不適切なコメントと批判を浴びたが、何の因果かトラブルが尽きないのは事実のようだ。

1980年モスクワ五輪はボイコット騒動

40年前の1980年モスクワ五輪はソ連(当時)のアフガニスタン侵攻に抗議し、米国や日本などの西側諸国がボイコットしたことで知られる。

東西冷戦下、政治に翻弄されて「幻の代表」となった日本選手は今も葛藤を抱え、スポーツ界の苦い記憶として残る。当時、柔道男子代表だった日本オリンピック委員会(JOC)の山下泰裕会長をはじめ、陸上男子マラソンの瀬古利彦氏やレスリング男子の高田裕司氏、バレーボール女子の代表だった三屋裕子さんらも理不尽に夢を絶たれた選手の一人。国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長も当時西ドイツでフェンシング代表だったが、幻の代表を経験している。

1940年は「幻の東京オリンピック」

さらに40年さかのぼる1940年の開催都市は夏季大会が東京、冬季大会は札幌が予定されていたが、日中戦争の拡大でまさかの返上に追い込まれ、代替地を検討したIOCも最終的に開催を断念した経緯がある。

これは「幻の東京オリンピック」とも呼ばれ、圧倒的に不利な状況の中で「柔道の父」として知られる嘉納治五郎氏が日本の初代IOC委員として世界を駆け回り、招致成功に導いた。しかし、IOC総会から帰国する貨客船「氷川丸」の船内で肺炎のため亡くなった悲しいエピソードもある。

1900年パリ五輪は大混乱…2年後にやっとメダル

五輪の起源は古代ギリシャのオリンピアで行われたスポーツの祭典で、古代オリンピックと呼ばれる。約1500年の時を経て復活させたのがフランスのクーベルタン男爵。スポーツを通じた平和の実現を掲げて近代五輪を提唱し、1896年にアテネで第1回夏季五輪が開かれた。

しかし日本オリンピック委員会(JOC)の資料によると、第2回の1900年パリ五輪は同じ年に万国博覧会が開かれたことで大会運営上、大混乱に陥ったとされている。

女子に門戸が初めて開かれ、テニスやゴルフに22選手が参加したのは画期的だった。それでも水泳はセーヌ川で下流に向かって競技が行われたため常識外れの好タイムが続出し、円盤投げでは観衆の中に投げ込むハプニングも起きたという。

3位以内の入賞者へのメダルが贈られたのは大会運営にクーベルタン男爵が実際に関わった陸上競技だけだったといわれている。しかもメダル製作は間に合わず、選手に届いたのは2年後だったそうだ。

次は2060年五輪?

五輪の「40年周期説」は2020年でも誰も予想できない形で直撃したが、次の大きなトラブルは2060年か―。五輪憲章では古代オリンピックの慣例を継承して「オリンピアード」と呼ばれる4年周期の最初の年に開催すると五輪憲章で定められているが、何とも不思議な巡り合わせである。

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