名刀の切れ味は永遠の語り草!デュランダル
まだ「マル外」こと外国産馬へクラシック出走権が無かった頃は、どれだけ強くとも裏街道を歩まねばならない時代があった。なかでも「ヒシアマゾン」が忘れられない。阪神3歳牝馬S(現在の阪神JF)を圧勝しながら、翌年は桜の舞台を踏むことが出来ず。
1994年4月16日。中山競馬場で行われたクリスタルカップ。ラスト100m地点で先頭から4馬身以上離されていながら、ワープしたかの如く鬼脚を繰り出し一気に差し切り、逆に1馬身突き放しての勝利。並みいる牡馬たちを撫で切った。
桜花賞に出走していたらオグリローマンとどんなレースをしたのか、見てみたかった気持ちは今でも変わらない。今回は前回の「アッと言わせた逃げ切り」とは対照的に、見る者の度肝を抜いた「追い込み」にスポットをあて、名勝負を振り返ってみたい。
伝説の始まりは2003年のスプリンターズステークスからだった。デュランダルはこのレースが始まるまではオープン競走を1勝しただけの伏兵の1頭。とはいってもデビュー以来10戦中8戦で上がり3Fタイム1位を記録していたのと、前走のセントウルステークスで3着していたことで、5番人気の存在ではあった。
1番人気は前年のこのレースの覇者で、春の高松宮記念優勝馬ビリーヴ。2番人気は安田記念2着馬アドマイヤマックス、3番人気は異例の5歳デビュー戦で6月21日の函館メイン競走を制覇、9月27日までに無傷の5連勝を果たし挑んできたレディブロンド、そして4番人気に前哨戦セントウルSの覇者テンシノキセキと続いた。
レースは有力馬が思い思いの正攻法の走りをする中、デュランダルは3コーナーで最後方、4コーナーでも大外に持ち出し1頭交わしているかどうか。中山の直線は約308mしかない。テレビカメラからは完全にその姿は消えていた。その頃、先頭集団では短距離女王ビリーヴが圧巻の走り。ラスト200mでテンシノキセキを競り落とすと、残り100mの段階ではセーフティリードを作っていた。
その時だ。一段と実況の声のトーンがあがったのは。あり得ない位置から切れ味鋭くデュランダルが突っ込んできたのだ。一完歩、一完歩ストライドを伸ばし、ゴール板直前で差し切った。その興奮は池添謙一騎手のガッツポーズからも十二分に伝わってきた。
そして、秋のスプリント王として臨んだマイルチャンピオンシップ。しかし、またもや5番人気に甘んじる。
1番人気はその年マイル重賞戦線で安定的な活躍をしていたサイドワインダー、2番人気は前年に無敗で秋華賞とエリザベス女王杯を制したファインモーション、以下ミレニアムバイオ、バランスオブゲームとマイルから中距離の活躍馬に支持が集まり、スプリンターズステークスであまりにも切れ味が鋭すぎたデュランダルはスプリンター向きという見られ方をされていた。
実際、この1年間で前年のマイルCS10着、1800mのディセンバーS4着、中山記念9着とニューイヤーS以外のマイル戦以上で成績が奮っていなかった。しかし、池添謙一騎手と共に覚醒した本馬には全くの杞憂だった。逃げた10番人気のギャラントアローが粘る中、18頭中3コーナーで16番手、直線を向いた時には大外に持ち出し15番手。
一体先頭とは何馬身離れていただろうか。それでもゴール板を過ぎた時には3/4馬身ファインモーションを突き放した。この2戦で間違いなくデュランダルは伝説の追い込み馬達に肩を並べたと言って過言ではないだろう。