「スポーツ × AI × データ解析でスポーツの観方を変える」

三足のわらじを履くレーサー白石勇樹① 2輪から4輪を目指したきっかけとは?

レーサー白石勇樹選手ⒸSPAIA
このエントリーをはてなブックマークに追加

ⒸSPAIA


現役レーサー、eレーサー、レーサー育成の3足のわらじを履く、白石勇樹選手にインタビューする機会をいただいた。過去のエピソード、レーサーとしての苦労などのお話を伺うつもりであったが、白石選手が現在取り組んでいる試みの方に興味津々となった。全3回でお届けする。

モトクロスから4輪レーサーを目指したきっかけとは?

―白石さんの経歴からお伺いします。ご出身は大阪ということですが、なぜ和歌山育ちとなっておられるのですか?

和歌山に行ったきっかけは親が田舎暮らしに憧れていたからです。父親的に田舎で子供を育てたいというのがあったみたいです。

―この世界を目指したきっかけは?

5歳の時にセナ選手が亡くなったという報道を見たのがきっかけです。そこでF1というものの存在も知りました。そこから、タイヤの付いた乗り物に憧れるようになりました。

―ただ、最初は4輪ではなく2輪のモトクロスを始めたということですが

セナが亡くなった1年後に、父親の知り合いから50ccのモトクロスバイクを譲ってもらって、大和川の河川敷を走ってみたらすごく楽しくて。

レーサー白石勇樹選手ⒸSPAIA

ⒸSPAIA

―そこからなぜモトクロスから4輪を目指したのですか?

やはりセナへの憧れもあり2輪でなく、4輪がやりたかったんです。バイクのレース資金は親が共働きで生活費を切り詰めて出してくれてました。親は私がモトクロスのプロになることを願っていました。必死に働いて資金を稼いでくれていたので、4輪がしたいと正直に言いにくかったんです。 ただ、中学3年生くらいの反抗期の時に、親と喧嘩したついでに言ったら、資金集めから何から何まで自分一人でしなさいと言われ、4輪の世界に飛び込んだ感じですね。

―その後に鈴鹿サーキットレーシングスクールに入られましたよね?

はい。学校に通わず、カート業界も考えたのですが、その当時にF1で活躍されていた佐藤琢磨さんを調べていると、鈴鹿サーキットレーシングスクールの存在を知りました。ここはレーシングカートの経験がなくても、いきなりフォーミュラーの世界に行けるとのことで、これだと思いました。スクールの受講料500万円を高校時代にアルバイトをして貯めるしかないと思いました。

―卒業してからはすぐにフォーミュラーデビューされたのですか?

いえいえ、ここからも苦労しましたよ。デビューするのにまた数百万いることを知り、もう学校資金のように自分でお金を作れないと思い、スポンサーを探しました。ちょうど19歳くらいですね。地元の和歌山県橋本市の企業を飛び込みで。今考えると無茶苦茶な企画書と、ぶかぶかのスーツを着てましたね(笑)。60件以上巡って、1件の動物病院さんが、すごく興味を持って下さりまして。即決で応援するとおっしゃっていただき、ここから4輪の選手としての生活が始まったと言ってもいいくらいですね。

電気自動車「トミーカイラ・ZZ」との出会い

プロで活躍していくこととなった白石勇樹選手だが、そこで出会ったのが電気自動車「トミーカイラ・ZZ」であった。出会ったきっかけなどをお伺いした。

レーサー白石勇樹選手ⒸSPAIA

ⒸSPAIA

―選手として活躍されている時に出会った「トミーカイラ・ZZ」についてお聞かせください

僕のレースを応援して頂いているスポンサーさん経由で京都のGLM株式会社の小間代表をご紹介いただいたことがきっかけです。すごく仲良くなり、今から電気自動車を作ろうと思っているので、お手伝いしてもらえないかとお願いされました。そこからトミーカイラ創設者の富田さんとつながりを持ちました。

― 電気のマシンってそんなに違うものですか?

全然違います。一番違うのはトルクですね。パワーのかかり方がまるで違います。EV(電気自動車)は音が静かなので、イメージ的に力がないと思われるかも知れないですが、全く逆ですね。めちゃめちゃ力強くて。EVのイメージがこのトミーカイラZZによって覆されました。初速が今まで味わったことのない感覚でした。当時、F2に乗っていたんですが、その私でもGが結構来るなと思いました。これはスポーティーな乗り物で、ブームが来るなと思ってたら、その翌々年からFormula Eが始まりました。

次回はレーシングシュミレーター「LAPS」について、お楽しみに。

レーシングシミュレーターLAPSⒸSPAIA

ⒸSPAIA

《プロフィール》
白石勇樹…1989年7月15日大阪府出身。2009年にスーパーFJ鈴鹿シリーズに参戦し、シリーズランキング2位を獲得。その後、アジアン・フォーミュラ・ルノー(AFR)シリーズで日本人初のアジアチャンピオンに輝く。現在は現役レーサーを続けながら、レーシングシミュレーター「LAPS」の開発、後進の育成にもあたっている。