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練習でつかんだオリンピック!フィギュアスケート田中刑事選手の実績

2018 3/12 15:26hiiragi
田中刑事
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Ⓒゲッティイメージズ

全日本ジュニア選手権で優勝を飾りシニアに転向

田中刑事選手は1994年11月生まれ岡山県の出身。フィギュアスケートを始めたのは7歳の頃と、それほど早い方ではないが上達は早かったようだ。2004年の中四国・九州フィギュアスケート選手権大会のノービスB(年齢制限によるジュニアに上る前のクラス)を1位で通過して、全日本大会では8位に入っている。この大会の優勝は、東北・北海道代表の羽生結弦選手で、東京代表の日野龍樹選手は6位だった。この2人とは、ジュニア、シニアと競技人生を共に送ることになる。

2008年からはジュニアに上がり、2009年には全日本選手権に初出場で8位だった。2013年ジュニアグランプリシリーズでは、スロバキア大会とチェコ大会に出場し、いずれも優勝している。グランプリファイナルでは4位に入り、2013年は全日本ジュニア選手権でも初優勝を飾る。そして2014-2015シーズンからは、シニアに舞台を移した。

四大陸選手権の好成績で変わった意識

2014-2015シーズンは、クープ・ド・ニースで3位とまずまずのスタートを切った。しかし、グランプリシリーズのカップオブチャイナで8位、全日本選手権で8位と、怪我にも泣かされ満足な成績は挙げられなかった。2015-2016シーズンは、アジアンオープントロフィーで2位、USインターナショナルクラシックでも2位と、好調な滑り出し。NHK杯では公式戦で初めて4回転サルコウを決めて5位、全日本選手権では4位とまずまずの成績を収め、四大陸選手権の代表に選ばれた。

この大会は2014年にも出場したが、17位と結果を残せていない。ここは4回転ジャンプを決めたいところだったが、不発に終わってしまう。それでも6位に入り、成長の跡は実感できた。そうなると欲も出てきたようだ。もっと勝ちにいきたいという思いが強くなり、4回転ジャンプの練習にも力が入るようになった。

確実に進化を遂げた2016-2017シーズン

2016-2017シーズンは、平昌オリンピックを翌シーズンに控えた大事な1年となった。昨季とほぼ同じスケジュールを組み、出場したアジアンオープントロフィーで優勝を飾るものの、USインターナショナルクラシックでは10位と惨敗。初めてシーズン2試合出場したグランプリシリーズの1試合目、ロシア杯では7位と調子を落とした。

それでも2戦目のNHK杯では3位と調子を立て直し、グランプリシリーズ初の表彰台に立った。この時の優勝は、ノービス時代からの同期である羽生選手だった。2014年ソチオリンピックで優勝を飾って世界の頂点を極めていた羽生選手と、同じ表彰台で君が代を聞きながら、今度は自分の力で聞きたいと思ったという。その羽生選手は欠場したが、全日本選手権では2位に入り、四大陸選手権と世界選手権の出場権を獲得した。結果は四大陸選手権13位、世界選手権19位と振るわなかったが、進化の軌跡を残した1年となった。

実戦不足を練習で補ってつかんだオリンピック

いよいよやってきた平昌オリンピックの2017-2018シーズン。アジアンオープントロフィーで優勝を飾り、順調なスタートが切れたと思われた。しかし9月の練習中に右腸腰筋の怪我をして、グランプリシリーズのロシア杯は欠場を余儀なくされる。11月の中国杯には、出場できたものの7位に終わった。

オリンピック予選を兼ねた全日本選手権は12月21日に開催。それまでの1か月半は試合がなかったが、深夜まで続く練習量で実戦不足の穴を埋めた。全日本選手権ではSPを2位で発進。FSでは、前半に加えて後半にも4回転ジャンプを成功させ、総合2位に入り、オリンピックの座を獲得した。

平昌オリンピックでは、転倒もあって18位という結果だった。勿論悔しい思いもしただろう。しかし、オリンピックを経験して一生の宝を手に入れることができたのではないだろうか。