前人未到の領域、競技人生の「最終目標」
フィギュアスケート男子の絶対的エースで26歳の羽生結弦(ANA)が不屈の挑戦を続けるのは、成功すれば人類初となる超大技「クワッドアクセル」(4回転半ジャンプ)の成功だ。
3月27日までストックホルムで行われた世界選手権では4年ぶり3度目の世界一を惜しくも逃したが、前人未到の領域を目指すことは競技人生の「最終目標」と公言し、さらなる高みを目指している。
近年は4回転ジャンプの多様化でクワッドアクセル以外の全種類をトップ選手たちが操る新時代に突入した中、3連覇が懸かる来年の北京冬季五輪に向け、自ら「限界の先へ」と挑戦する羽生の明確な姿勢は揺るぎない。
4回転ジャンプの歴史を振り返ると、ここ30年で劇的に進化するアスリートたちの向上心と本能が見えてくる。
初の4回転は33年前のブラウニング
国際スケート連盟(ISU)主催の公式戦で初めて4回転ジャンプを決めたのは、1988年のカート・ブラウニング(カナダ)で、基礎点が最も低いトーループだった。
大会はブダペストでの世界選手権。3度出場した五輪ではメダルに届かなかったが、4度の世界選手権王者に輝いた実績があるジャンプの名手でもあった。
サルコーは10年後のゲーブル
4回転サルコーを成功したのはその10年後となる1998年、ティモシー・ゲーブル(米国)だった。
当時は「4回転キング」とも称され、ジュニア・グランプリファイナル(ローザンヌ)でサルコーを決めて優勝。2002年ソルトレークシティー冬季五輪では3度の4回転ジャンプを成功させて銅メダルに輝いた一流選手でもある。
4回転フリップは宇野昌磨が初成功
さらに難度が高い4回転ルッツは、2011年のグランプリシリーズNHK杯でブランドン・ムロズ(米国)が初めて成功させた。
ルッツまではいずれも10年単位の時間がかかったが、2016年4月には北米・欧州・アジアによる3大陸対抗戦「コーセー・チームチャレンジカップ」で宇野昌磨(中京大=当時)がISU公認大会で史上初めて4回転フリップを成功。そこからジャンプの進歩は急加速していく。
5カ月後に羽生結弦が初の4回転ループ成功
宇野の成功から約5カ月後、2016年9月にモントリオールで行われたフィギュアスケートの国際大会、オータム・クラシックのショートプログラム(SP)で史上初の4回転ループを成功させたのは羽生だった。
フリーではサルコーを含め4回転ジャンプに2度成功して優勝。基礎点も高い4回転を次々と跳ぶことが国際大会で勝利への近道となり、一気に4回転で多種類の大技に挑む時代になった。
4回転半成功は「自分の夢」
世界が注目する中で4回転ジャンプをいかに多く、ミスなく、そして美しく跳ぶか―。3月の世界選手権で3連覇を達成したネイサン・チェン(米国)はフリーで4種類計5度の4回転ジャンプを成功させた。
一方、五輪3連覇へ羽生が一歩ずつ近づいている新次元のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)は唯一前向きで踏み切り、さらにその上を行く高難度ジャンプになる。
2018年平昌五輪の2連覇で歴史的な快挙を遂げた羽生はSP、フリーで計6度の4回転ジャンプを着氷し、類いまれなる勝負強さを発揮した。4年前のソチ冬季五輪ではSPとフリーの演技に入れた4回転ジャンプは計3度。その倍を組み込む内容だった。
2018年7月、羽生は個人として最年少の23歳で国民栄誉賞を受賞した表彰式の際にも「達成したいことはいろいろまだある」と4回転半ジャンプ成功への夢を語っている。
小学校低学年時代から夢中で練習したというアクセルジャンプ。前向きで踏み切る最高難度の技で4回転半は誰も成し遂げていないが、その成功を「自分の夢で特別」と表現してはばからない。
自らを開拓者として飽くなき挑戦を続ける羽生の軌跡。世界選手権後は「自分の中でやっと4回転半というジャンプらしくなってきたものが結構あった」と手応えも語っている。フィギュアスケート界の歴史にまた新たな金字塔を打ち立てる日が来ることを心待ちにしたい。
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