輝く歴代7人の五輪メダリスト
フィギュアスケートの日本勢はトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の先駆者でもある1992年アルベールビル冬季五輪銀メダルの伊藤みどりを皮切りに、2006年トリノ冬季五輪女子金メダリストの荒川静香ら7人の輝きを放つ歴代五輪メダリストがいる。
最新の世界ランキングで見ると、男子は冬季五輪2連覇の羽生結弦(ANA)が2位、2018年平昌冬季五輪銀メダルの宇野昌磨(トヨタ自動車)が3位、女子は四大陸選手権2連覇の紀平梨花(関大KFSC)が1位で10位以内に4人を占める。世界でも屈指のフィギュア強国に成長を遂げたといえるだろう。
1990年代より前は世界と互角に渡り合えるスケーターは多くなかったが、なぜ現在の日本は五輪メダリストの系譜が受け継がれ、ここまで強くなる土台が築かれたのか―。
ヒトラーも驚かせた戦前の稲田悦子
日本フィギュア界の歴史は戦前の1936年ガルミッシュパルテンキルヘン五輪(ドイツ)から始まる。年齢制限がなかった当時、12歳で出場した小学6年生の稲田悦子が10位と健闘。冬季五輪の日本女子代表第1号であり、開会式で身長127センチの少女を見たナチス・ドイツ総統のヒトラーは「あの子は何をしに来たのか」と側近に尋ねたと伝えられている。
その稲田が戦後にコーチとして育てたのが福原美和。1964年インスブルック五輪で初の入賞となる5位と活躍し、1980年レークプラシッド五輪では渡部絵美が6位に入った。そして世界で初めて金メダルに挑んだのが驚異のジャンプを武器とした伊藤みどり。1989年世界選手権で初優勝し、1992年アルベールビル五輪で重圧に苦しみながらも武器のトリプルアクセルを成功させて日本勢初のメダルに輝いた。
男子では1977年の世界選手権で佐野稔が日本人初の銅メダルを獲得し、一時代を築いている。
「野辺山合宿」は黄金期の原点
練習環境が必ずしも充実していると言えなかった日本が現在の「黄金期」を築いたフィギュア界の原点を探っていくと、通称「野辺山合宿」と呼ばれる3泊4日の登竜門でもある「全国有望新人発掘合宿」にたどり着く。
長野冬季五輪開催が決まった翌年の1992年に、6年後の本番を見据えてスタートした日本スケート連盟の斬新な強化策だ。この発端はアルベールビル五輪で伊藤が惜しくも金メダルを逃したことにも起因していた。「第2の伊藤みどりを育てよう」を合言葉に、メダルの期待が一人に集中する重圧を分散させるため全体を底上げし、全国から「金の卵」を発掘する長期的な戦略に着手したのだ。
毎年夏、全国の8~12歳の子どもたちを100人近く集めて長野県野辺山で有望選手の体力測定に始まり、アイスリンクでは潜在能力や柔軟性をチェックし、ジャズダンスやバレエなどの表現力を判定する独特のプログラムもある。
続々と有力選手を輩出する「野辺山合宿」は海外から「パワーハウス」とも呼ばれ、一時低迷したロシアなども手本にして勢いを取り戻した。
「1期生」は荒川静香
その「1期生」が1998年長野五輪に出場し、2006年トリノ五輪で伝説の「イナバウアー」を披露する華麗な演技で初の金メダリストに輝いた荒川静香。2002年ソルトレークシティー五輪で4位入賞の本田武史もその1人だ。
2010年バンクーバー冬季五輪で日本勢男子初の銅メダルを獲得した高橋大輔や2014年ソチ冬季五輪で男子初の頂点に立った羽生結弦、女子で2010年バンクーバー五輪銀メダルの浅田真央、世界選手権2度制覇の安藤美姫らも「野辺山合宿」から才能を発掘されて世界に羽ばたいたトップ選手たちだ。
高橋大輔は13歳で海外派遣、羽生結弦はリズム感を評価
岡山県倉敷市を拠点に練習していた高橋は野辺山合宿で類いまれなステップワークや表現力の才能を見いだされ、13歳でスロベニアの国際大会に初めて派遣されて海外デビュー戦で初優勝すると、スターダムへと一気に駆け上がった。
羽生結弦は小学生で参加した当時からジャンプで転倒しながらも、リズム感と表現力に非凡な才能が光っていたと評される。
宇野昌磨も経験者、浅田真央は伊藤の背中追う
宇野昌磨は浅田真央に声を掛けられてフィギュアスケートを始めたが、小学校3年生の時に「野辺山合宿」を経験し、才能を発掘されたという。
浅田真央は伊藤みどりの背中を追い、2010年バンクーバー五輪で五輪史上初めて2度のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を成功させながら金姸児(韓国)に敗れて銀メダルだった。それでも彼らは先輩の背中を追い掛け、切磋琢磨して憧れの五輪にたどり着く「相乗効果」が生まれており、強さを継承していく。代名詞のトリプルアクセルを武器に女子のエースに成長した紀平梨花もこの合宿の経験者である。
82年かかった男子悲願の金メダル
フィギュア男子の五輪挑戦は1932年レークプラシッド五輪が初めて。1964年インスブルック五輪で全日本選手権10連覇の佐藤信夫が8位、1977年世界選手権3位の佐野稔は1976年インスブルック五輪では9位となったが、表彰台は遠かった。
1998年長野五輪に合わせて「野辺山合宿」で強化した世代が台頭した2000年代に光明が差し込み、高橋大輔が最初の歴史を切り拓く。2010年バンクーバー五輪でついに男子で史上初の表彰台となる銅メダルをつかみ、82年の歳月をかけて羽生結弦が2014年ソチ五輪で悲願の金メダルをもたらした。
世界有数の熱烈なファンも後押し
脈々と受け継がれる日本フィギュア界の系譜は新世代も台頭する中、世界でも断トツの存在感がある熱烈なファンの存在も見逃せない。海外の大会でも大勢のファンが駆け付け、いつもホームのような雰囲気を醸し出す。そんな世界も驚く有数のパワーも日本フィギュア界の強さを支えている。
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