ライバルのマークを破っての最多タイ記録
世界最大の自転車ロードレース「ツール・ド・フランス」において、45年にわたり誰も近づくことのできなかった大記録に、マーク・カヴェンディッシュ(ドゥクーニンク・クイックステップ、イギリス)が並んだ。現在開催中のツール2021年大会の第13ステージで勝利をおさめ、今大会4勝目を挙げるとともに、エディ・メルクス(ベルギー)が持つステージ最多勝34勝と同数に。いよいよ、新記録達成に向け状況は整った。
大会中盤戦が進行中のツールは、フランス南部を西へと針路をとっている。現地7月9日に行われた第13ステージは、全体的に平坦基調のセッティングがなされ、カヴェンディッシュのようなスプリンター(フィニッシュ前のスピード勝負に強い選手)が有利と見られていた。実際に、この日の優勝争いはスプリントによるものとなった。
スプリント勝負においては、集団内のどの位置から加速するかが重要になる。有力チームの多くが「トレイン」と呼ばれる隊列を編成し、エーススプリンターにかかる空気抵抗を軽減させるとともに、限りなくトップスピードに近い段階から飛び出せるようアシスト(エースをサポートする選手たち)の選手たちがお膳立てをする。
カヴェンディッシュが所属するチーム「ドゥクーニンク・クイックステップ」は、スプリントに向けたレース構築が今大会の中で群を抜いており、たびたび彼を勝利に導いてきた。しかし、第13ステージでは他チームからの執拗なマークもあり、残り500mでトレインが崩壊。それでも、態勢を立て直して集団前方に位置を取り戻したカヴェンディッシュが、持ち前のスピードを発揮。ツール通算34勝目となる記念の勝利をつかんだのだった。
ⒸTim De Waele / Getty Images
カヴェンディッシュを支える献身的なアシストと心理的な要素
カヴェンディッシュは今大会3勝目を挙げた第10ステージ(7月6日)後、チームの強さをこのように語っている。
「このチームには、トラック競技のオリンピック選手、ロード世界王者、権威ある大きなレースの優勝者がそろっている。そんな彼らが私のために仕事してくれるのは本当に光栄なこと」
カヴェンディッシュの走りを支えるチームメートには、現役のロードレース世界王者であるジュリアン・アラフィリップ(フランス)、来る東京五輪ではトラック競技で出場が内定しているミケル・モルコフ(デンマーク)、ワンデーレースの最高峰ともいわれるロンド・ファン・フラーンデレンで今年優勝したカスパー・アスグリーン(デンマーク)らが控える。
本来であれば勝てるだけの力を持つ選手たちが、平坦ステージではカヴェンディッシュのためにサポート役に徹しているのである。まさに“銀河系軍団”ともいえるようなチームにあって、いまをときめくスター選手たちが献身的な働きを見せている状況こそ、カヴェンディッシュの勝因に直結している。
ⒸTim De Waele / Getty Images
また、チームマネージャー(他競技でいうところのオーナー的存在)であるパトリック・ルフェヴェル氏が主力選手たちの意欲を掻き立てるモチベーターとしての手腕を発揮していることも見逃せない。
感情に富み、ときに自チームの選手を厳しく批判することもあるが、その逆もしかりでチームや所属選手へ強い愛情を注ぐ。昨年オフには今季の所属チームが未定だったカヴェンディッシュを受け入れ、今大会へも勇気をもって送り出したことで、選手たちはその思いに全力で応えようとしている。
もちろん、カヴェンディッシュのコンディションが非常によいことも作用しているが、心理的な面での要素も今の快進撃には大きくつながっていると見ることができる。
カヴェンディッシュのドラマ性が人々の関心を呼び戻す
カヴェンディッシュの活躍は、現地での報道にも変化をもたらしている。
大会公式新聞の「レキップ」(L'EQUIPE)は、10日付の一面でカヴェンディッシュの優勝シーンを掲載。最多勝記録保持者のメルクスが現役時代、どんな状況下でも勝つことにこだわった姿を「カニバル」(人食い)と呼び他選手たちが恐れたことを引き合いに、「カニバルへのスプリント」との見出しが用いられた。
また、紙面では2008年大会の第5ステージで初勝利を挙げたときから、いまに至るまでの34勝分のフィニッシュ写真をすべて掲載。13年にわたって彼がツールで勝ってきた歴史をいま一度振り返る機会とした。
レキップはここ数日、現在開催中のサッカー欧州選手権「UEFA EURO 2020」や大型補強を進めるリーグ・アンの強豪PSGの話題を一面に採用することが続いていた。前回の個人総合優勝者タデイ・ポガチャル(UAEチームエミレーツ、スロベニア)が今大会前半から強さを発揮していること、さらには期待されていたフランス人選手が不調に陥るといった理由から、現地ファンにとどまらず報道もどこか静かだったのだ。
しかし、カヴェンディッシュのタイ記録達成で、久々にツールの話題が紙面の多くを占める形に。現役選手では年長にあたる36歳という年齢や、5年ぶりにツールで勝利を挙げたこと、華麗に復活を遂げて45年破られなかった大記録の更新に迫っている、といったドラマ性が人々の関心をツールへと戻したように思われる。
新記録へチャンスは2ステージ
これからの焦点は、新記録達成なるか、となってくる。
第14ステージ(現地10日)からはピレネー山脈内にコースが設定されることから、カヴェンディッシュが本職とする平坦コースはしばらくおあずけ。次のスプリントチャンスは、第19ステージ(16日)の見込みだ。また、最終日に行われる第21ステージ(18日)も、パリ・シャンゼリゼ通りでのスプリント勝負が慣例となっており、この2回が新記録へチャレンジする機会となる。
今の勢いだと、第19ステージを勝って記録を塗り替えるばかりか、第21ステージも勝って勝利数を更新する可能性も十分にある。シャンゼリゼで新記録達成となれば劇的展開ではあるが、当の本人は「どの勝利もツールで挙げた1つの勝ちに過ぎない。メルクスに並んだから特別、ということは一切ない」とのスタンスを示しており、やはり第19ステージでも他の平坦ステージ同様に勝ちにいくものとみられる。
ただ、わずかな不安要素として、山岳ステージを走り切ることができるかという点が挙げられる。各ステージには、フィニッシュタイムを基準とする制限時間が設けられており、その時間内でフィニッシュラインを通過しないと失格になるレギュレーションが存在する。今大会ではすでに数人に適用されたほか、カヴェンディッシュ自身もアルプス山脈を走った第9ステージでタイムオーバーのピンチに陥っている。
大記録達成のカギとなるのは、ピレネーの山道を耐え抜けるかどうかといったところだろうか。
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