大会前日の新ルール発表
ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季オリンピックの開幕を目前に控えた2026年1月。カーリング界に走った激震は、氷上の風景を一変させるかもしれない。あのロコ・ソラーレでさえ、その波紋に飲み込まれかけた一幕があった。
1月7日、カナダで開催されたグランドスラム「プレーヤーズ選手権」。ロコ・ソラーレ対チーム・ホーマン(カナダ)の好カードで、それは起きた。第5エンド、鈴木夕湖の投じたストーンに対し、吉田夕梨花が懸命にスウィーピングを行う。ハウス奥へ抜けそうなストーンを何とか止めようとするアクションだ。
その瞬間、相手スキップのラッシェル・ホーマンから鋭い声が飛んだ。「Youcan'tdothat(それはやってはいけないことよ)」。
ホーマンが指摘したのは、前日1月6日に発効されたばかりの「スウィーピング技術方針」への抵触だった。これまで暗黙の了解、あるいは技術の一部とされていた「ストーンを減速させるためのスウィーピング」が、明確に禁止事項となったのだ。あのロコ・ソラーレでさえ戸惑うほどのルール変更。今、カーリングの氷上で一体何が起きているのか。
新ルールが禁じた「減速の物理学」
今回、世界カーリング連盟(WC)が打ち出した新方針の核心は、スウィーピングの本来の目的に立ち返ることにある。
これまでのルールは「用具の規格」や「ラインを越えない」といった客観的な基準が主だった。しかし新ルールでは、「ストーンを減速させる意図」を持ったスウィーピングそのものが違反となる。具体的には、体重を乗せてブラシを押すだけの動作や、ブラシを氷から離して氷の削りカスをストーンの前に置くような動作が禁止対象として明記された。
ここで、ブラシと氷の間で起きている物理現象を少し噛み砕いてみよう。本来、カーリングのスウィーピングとは「滑らせる」ための技術だ。ブラシで激しく擦ることで摩擦熱を生み、氷の粒(ペブル)の頭をほんの少し溶かす。その微細な水の膜が潤滑油となり、ストーンはより遠くへ進み、曲がりが抑えられる。
一方で、今回禁止された「止めるスウィーピング」は、これとは真逆の現象を利用する。ブラシを氷に強く押し付け、削り取ったデブリ(氷の粒子)をストーンの進行方向に意図的に溜める。いわば、ストーンの前に小さな雪の壁を作る「除雪車」のような状態を作り出すのだ。あるいは、ブラシを立てて氷に食い込ませることで、無理やり減速地帯を作り出す。既存の氷の状態から得られるであろう以上の抵抗を生み出し、回転方向とは逆方向にストーンを移動させる。
これらは「摩擦を減らす」のではなく「物理的な障害物を作る」行為であり、氷の状態を読んで(アイスリーディング)滑らせるという本来のプレーから逸脱しているというのが連盟の判断だ。
なぜ今、「止める技術」がNOを突きつけられたのか
「投げた石が強すぎても、掃けば止まる」。もしそんな魔法が許されるなら、投球の精度など二の次になってしまう。今回のルール変更の背景にあるのは、「用具と技術による氷への過干渉」に対する危機感だ。
近年、スウィーピング技術は「ストーンを運ぶ」ことから「ストーンを操る」ことへと変貌を遂げた。物理法則の限界を超えて曲げたり、行き過ぎたストーンを強制的に減速させたりする技術が常態化しつつあった。
特に問題視されたのが「ナイフィング」と呼ばれる技術だ。ブラシヘッドを立て、エッジ部分で氷を強く掃く。すると、接触面積が減る分だけ圧力が高まり、氷の表面に溝を刻むことができる。ストーンがその溝に噛み合えば、予期せぬ方向へ曲がったり、急ブレーキがかかったりする。
WCは、こうした技術が競技本来の姿を消し去ってしまうと判断した。「スウィーピングでミスショットを帳消しにする」ことが当たり前になれば、カーリングの醍醐味である「精密な投球技術」の価値が薄れてしまうからだ。
10年続いた「イタチごっこ」の末に
このルール変更は、決して突然の思いつきではない。過去10年以上にわたる、選手、メーカー、統括団体の長い戦いの決着点でもある。
「ブルームゲート」と呼ばれた2015年の騒動を覚えているだろうか。特殊な素材のブラシを使えば、ストーンをラジコンのように操れることが発覚し、カーリング界は混乱に陥った。この時は、ブラシの生地(ファブリック)を統一規格にすることで事態の収拾を図った。
しかし、進化は止まらない。規制されたのは「生地」だけだったため、メーカーや選手は「中身」に目をつけた。ブラシ内部のスポンジ(フォーム)を硬くすれば、力がダイレクトに氷に伝わり、規制された生地でも氷を削ることができる。これが「ブルームゲート2.0」への入り口だった。
2024年頃からは、硬いフォームと「ナイフィング」を組み合わせた技術が横行し始める。事態を重く見たのは、実は選手たち自身だった。「自分たちが有利になる道具でも、公平性が損なわれるなら使わない」。2025年1月、世界のトップチームが連名で「フェアプレー提案」を提出し、問題のある用具の自粛を求めたのだ。
これを受け、WCは2025年12月に硬質フォームを使用したブラシを禁止。そして今回、ついに「道具」だけでなく、それを使う人間の「動作」そのものを規制する最終手段に打って出たのである。
「氷上のチェス」は原点へ回帰する
2026年、ミラノ・コルティナ五輪。この新しいルールは、間違いなく大会の行方を左右する大きな要素となる。
短期的には現場に混乱が生じるだろう。ロコ・ソラーレの試合で見られたように、審判や選手間で「どこまでがセーフで、どこからがアウトか」の解釈が割れる場面も予想される。選手の「意図」を判定するという難易度の高い運用が求められるからだ。
しかし、長い目で見れば、これはカーリングというスポーツの品格を取り戻すための英断と言える。「スウィーピングで無理やり止める」というプランが消滅した今、選手たちには再び、針の穴を通すような繊細なタッチが求められる。パワーでねじ伏せるのではなく、研ぎ澄まされた投球と、氷との対話で勝負する。かつて「氷上のチェス」と呼ばれた知的な戦いが、より純度の高い形で帰ってくるはずだ。
ロコ・ソラーレも、チーム・ホーマン戦では注意を受けながらも、最終的には勝利をもぎ取った。「カーリング精神」と呼ばれる高潔なスポーツマンシップを持つカーラーたちなら、この新ルールも味方につけ、クリーンで美しいショットを世界に見せつけてくれるに違いない。魔法の杖を捨てた先にある、真の実力勝負。五輪本番が今から待ち遠しい。
【関連記事】
・【カーリング】35cmも曲がるブラシはNG!用具規則厳格化 ミラノ・コルティナ冬季五輪前に知りたい競技事情
・【カーリング】「ブルームゲート2.0」とアスリートが守った「カーリング精神」 ミラノ・コルティナ冬季五輪前に知っておきたい競技事情
・「氷上のチェス」の魅力実感!スポーツナビでカーリング一投速報の配信スタート