松本流星に負傷判定負け
プロボクシングのWBAミニマム級王座決定戦が14日、名古屋・IGアリーナで行われ、同級2位・松本流星(27=帝拳)が同級1位・高田勇仁(27=ライオンズ)を5回負傷判定で下し、新王者となった。
松本は名門・帝拳ジムで歴代最速の7戦目(7勝4KO)で世界王座を獲得。敗れた高田は16勝(6KO)9敗3分けとなった。
序盤、サウスポースタイルからスピード満点の左ストレートを放つ松本を攻めあぐねていた高田。5回、お互いが同時に踏み込んだ瞬間、松本の頭が高田の顔面に直撃し、背中から倒れ込んだ高田が出血している様子を見たレフェリーが即座に試合を止めた。
偶然のバッティングで試合続行不可能となった場合、4回を終えていればそれまでの採点による負傷判定となる。5回も含めたジャッジの採点は3-0(50ー46が1人、50ー45が2人)で松本を支持しており、高田は不完全燃焼のまま世界初挑戦を終えた。
高田は担架で搬送されたが大事には至らず、会場に戻って会見に出席。再起へ意欲をにじませた。
8勝8敗3分けから8連勝で世界初挑戦
日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた高田は幼少期をフィリピンで過ごした。日本に移住後、U-15ジュニアボクシング大会に出場し、のちの東洋太平洋フェザー級王者・堤駿斗や3階級世界王者・中谷潤人と対戦したこともあるという。
中学卒業後、高校には進学せず2015年8月に17歳でプロデビュー。初陣は勝利で飾ったものの3戦目で初黒星を喫するなど勝ったり負けたりを繰り返し、19戦を終えた時点で8勝8敗3分けだった。
しかし、20戦目から8連勝。その間に日本ミニマム級王座を奪って4度防衛、WBOアジアパシフィックミニマム級王座も奪取し、デビューから丸10年でようやくつかんだ世界戦の舞台だった。
アマチュアエリートから転向し、プロでも無敗街道を突き進む松本とは対照的な道のりを歩む高田にとって、キャリア9度目の敗戦はさらなる飛躍への糧となるだろう。

ⒸLemino/SECOND CARRER/NAOKI FUKUDA
世界に3度挑みながら届かなかった古山会長
そして、高田の夢は、ライオンズジムの古山哲夫会長(79)の夢でもあった。現役時代は「ライオン古山」のリングネームで世界に3度挑んだ名ボクサーだ。
1967年にデビューし、ライト級で全日本新人王に輝くと、日本スーパーライト級、東洋スーパーライト級王座を奪取。1973年、パナマでWBAスーパーライト級王座を10度防衛したアントニオ・セルバンテス(コロンビア)に挑んだが15回判定負けした。
1974年にはローマでペリコ・フェルナンデス(スペイン)と空位のWBCスーパーライト級王座を争ったが15回判定負け。そのフェルナンデスをプロ3戦目で破って世界王者となったセンサク・ムアンスリン(タイ)に1976年、日大講堂で挑戦したが、三たび15回判定負けを喫した。
生涯戦績38勝(27KO)12敗4分。強打とタフネスで54戦し、引退後にライオンズジムを開いた。高田はジム創設以来初の日本王者となり、ついに世界に手の届くところまで来た。
世界初挑戦はほろ苦い結果に終わったが、高田と古山会長の挑戦はまだ終わらない。50歳以上離れた“師弟コンビ”が追いかける夢には続きがある。現役時代あと一歩で届かなかった世界のベルトを傘寿となった古山会長が巻き、愛弟子と抱き合って喜ぶ姿を見たい。
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