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ボクシング界の「レジェンド」野中悠樹がまさかのKO陥落…夢の世界挑戦へ崖っぷち

2022 7/30 11:00伊藤雅哉
能嶋宏弥に敗れた野中悠平(右),筆者提供
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筆者提供

格下に20年ぶりKO負け

国内ボクシング界で「レジェンド」と呼ばれるベテランの、まさかの王座陥落だった。

7月24日、大阪府堺市であったWBOアジアパシフィック・ミドル級(約72.5キロ以下)タイトルマッチ。44歳の王者・野中悠樹(渥美)が6回TKOで敗れ、ベルトを手放した。1999年から現役を続ける野中にとっては生涯2度目、実に20年ぶりとなるKO負けだった。

「先手のパンチをもらって、リズムが狂ってしまった。取り返そうと思って焦って大振りになってしまいました。後手後手になってしまったのが敗因ですね」

試合後、記者に囲まれた野中は、ショックを見せることなく淡々と語った。失ったものは大きい。アジアの地域王座とともに、WBO15位の世界ランキングも手放すことになるだろう。「どうしても世界戦がやりたい」と現役を続けてきた野中にとって、世界ランクは夢実現への命綱だった。

陣営は海外で試合を組むべく動いてきた。英語が堪能な桂伸二トレーナーが奔走したが、時間だけが過ぎた。前の防衛戦から1年。試合間隔が開くことを避けるために、今回は26歳の挑戦者、能嶋宏弥(薬師寺)を指名した。本来は2階級下の選手で、プロキャリアも野中の5分の1ほどしかなかった。

戦績49戦35勝(10KO)11敗3分け。サウスポーの野中は打っては離れ、相手に決定打を許さないアウトボクサーだ。「それが自分のボクシング。ダメージが少ないから長くやってこられた」と話す。

しかし、今回は鋭く直線的に踏み込んでくる能嶋の右を序盤から浴びた。3回にはロープに詰められ、クリンチでしのぐ場面も。いつもの野中は足を使って動き回り、リングを広く使う選手だが、この日はリングが狭く感じるほど、相手のプレッシャーに押されていた。

そして6回、能嶋の右を浴びて尻餅をつくダウン。立ち上がり、仕留めに来た相手と打ち合ったが、最後はレフェリーに止められてしまった。

頭を下げる野中悠平

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家族と別れて現役続行…トランクスとガウンは長女作

兵庫県尼崎市出身の野中は執念のボクサーだ。

もともとサッカー少年だったが、誇れるような実績はない。高校卒業後、ブラブラと遊んで過ごしていた19歳のときにバイクで自損事故を起こし、初めて死を意識した。

病室のベッドで「ボクシングをやってみたい」と思った。子供の頃に読んだボクシング漫画「あしたのジョー」「がんばれ元気」の世界観が好きだった。上半身をギプスで固定されていたが、それを友人に糸ノコギリで切ってもらい、その足で近所の尼崎ジムへ入門した。

20歳でデビューし、30歳でやっと日本王者に。その後、東洋太平洋タイトルも獲得したが、31歳で2本のベルトを同時に失った。

すでに妻と、幼い娘が2人いた。妻は引退して仕事に専念してほしいと望んだが、野中はどうしてもやり切ったと思えなかった。

野中が選んだのは、家族と別れてもボクシングを続ける道だった。

長く現役を続けるうちに、離れて暮らす娘たちは大きくなった。いまも定期的に会い、食事をしている。20歳になった長女は服飾の専門学校に通う。今回の試合では、長女がトランクスとガウンを作ってくれた。

ファイトマネーだけでは生活していけない。野中自身は職場を転々としてきた。いまは清掃業の一人親方として働いている。チャンスをもらえそうなジムを求めて移籍も繰り返してきた。

同じミドル級でもアマチュアで金メダル、プロでは世界王者の村田諒太(帝拳)とはあまりにも違う道。野中が走ってきたのは、それとは正反対の裏街道だ。

「さすがに減量もきつくなってきたし、疲れやすくもなった」とはいうが、多い日で一日20キロを走り込み、まだ立ったことのない世界戦の舞台を目指してきた。

12月で45歳…能嶋と再戦か

今回の敗戦で、目指していた場所が遠のいたことは確かだ。

今後については、こう答えた。

「すぐに答えが出せる話ではないんですけど、ゆっくりもできない。考えたいと思います」

試合後、取材に答える野中悠平

筆者提供


能嶋の所属ジムの元世界王者・薬師寺保栄会長によると、今回の試合の契約には「仮に能嶋が勝った場合、野中は11月20日に愛知・刈谷で再戦できる」というオプション(付帯条項)がついていたという。

野中は現役を続けるなら、能嶋と再戦するか、その権利を放棄して別のルートで世界戦をめざすか、の二択しかない。

ただし、12月に45歳になる野中に残された時間を考えれば、一から世界戦をめざすのは厳しい。現実的には、能嶋からベルトを取り返すしかないだろう。試合日が決まっている以上、結論にそう長い時間はかけられない。

短い調整期間で立て直し、今度は敵地に乗り込んで、一度は完敗した相手と戦わなければいけない。「レジェンド」は、崖っぷちに立っている。

《ライタープロフィール》
伊藤雅哉(いとう・まさや)1977年9月4日、三重県桑名市生まれ。朝日新聞スポーツ部デスク。学生時代にアマチュアボクシングで1戦1勝、30歳を過ぎてプロテスト2回不合格。2018年から関西でボクシング取材を始め、Twitterでも選手情報を発信中。これまでに所属したプロ加盟ジムはWOZ、E&Jカシアス、黒潮、グワップ協栄、尼崎。

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