3年半前から新井啓介トレーナーの指導受ける
ボクシングのWBA、IBF世界ミドル級タイトル統一戦(9日、さいたまスーパーアリーナ)、WBAスーパー王者の村田諒太(帝拳)とIBF王者のゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)が戦う日本ボクシング史上最高のメガマッチのゴングが間近に迫った。
村田にとってはプロアマ含めてボクシング人生で最強の相手に勝利することができるのか。そのカギのひとつとなるのが「ビジョン・トレーニング」によって身に付けた眼の力とバランス感覚だ。
村田は3年半ほど前からビジョン・トレーナーの新井啓介氏の元でトレーニングを行うようになった。眼と脳、さらに身体を連動させることによってパフォーマンスの向上につなげることが目的のトレーニングは、壁に張り巡らされたボタンの点灯したものを“モグラ叩きのようにタッチするものや、頭を固定して眼球だけを動かすもの。一点を見つめて“寄り目”の状態にするものなどがある。
トレーニングを始めた当初の村田について新井氏は「まだまだ伸び代があるな、と感じました」と振り返る。ズバ抜けた才能や身体能力を持つトップアスリートでも、眼の能力は使い切れてないことが珍しくないといい、村田もまさにそうだった。
ジャグリングしながらアルファベットを読む意味
スパーリングやキャンプなどの合間に新井氏の直接指導を受けるのは月に一度ほどのペースだが、それ以外の日もほぼ毎日、村田は同氏が作ったメニューをこなし続けた。その成果で3つのボールを使うジャグリングでは、バランスボードの上に立って行ったり、ボールを操りながら壁に表示されたアルファベットを読むことまでできるようになった。
ジャグリングしながらアルファベットを読むトレーニングの意味について新井氏は「周辺視野でジャグリングのボールを追い、メーンの視野でアルファベットを読むことによって同時に2つの動きをします。これがボクシングでは、下がりながらパンチを出す。相手のパンチに反応するだけでなく攻撃することができる、ということにつながります」と説明する。
さらに点灯したボタンにタッチするトレーニングでは、一般的には壁などに固定した状態のボタンに対して反応するのを、ボタンがあるボードそのものも動く、より難易度の高いバージョンになっている。これによって手と眼だけではなく、足も同時に使うことでよりボクシングに役立つようになる。約3年半のトレーニングを経て「村田選手の動きは最初は硬い、力任せ、という感じだったのが、柔軟さ。スムーズさが出てきました」(新井氏)。
ダメージを減らすための「眼の力」
この「ビジョン・トレーニング」を村田に紹介したのは元WBA世界スーパーフライ級王者の飯田覚士氏だった。ボクシング中継で一緒になった際、あるボクサーが「動く相手に対して放ったパンチを軌道修正しながら当てている」と飯田氏が解説したことに対して村田が「それはどういうことですか?」と質問。その際に「ビジョン・トレーニング」の話になり、その場で簡単な眼のチェックをしたことがトレーニングを始めるきっかけだった。
自身も現役時代に「ビジョン・トレーニング」をしていた飯田氏は「試合中にこのパンチはよけられない、間に合わないということがあるんですけど、その時は被弾する前に歯を食いしばるんです。そうすればダメージを減らすことができますから倒される可能性は少なくなります」と説明した。
いわゆる「顎を打ち抜かれて」倒されるのは、この「歯を食いしばる」という準備動作ができておらず、無防備な状態で被弾するためによりダメージが大きくなるためだ。こうして「眼の力」を鍛えることによって、ボクシングの場合には相手のパンチの動きをより正確に見極めることができるようになる。自分に向かってくるパンチのスピードや距離感を正確に把握できれば、よけたりガードしたりしやすくなる。
相手のパンチを見極める能力が向上
村田とゴロフキンは、2014年に村田が米国でキャンプしていた際に一度だけスパーリングしたことがある。当時ミドル級の世界3団体王者だったゴロフキンのパンチを実際に受けてみた感触は、それまでに経験したことのないような威力だったという。
スパーリングではお互いの負傷予防のために試合(ミドル級は10オンス)よりも大きいグローブを使って衝撃を少なくする。当然、試合本番になればパンチの威力は増すので、「スパーリングであれだけの衝撃があったのだから、もし本番でまともにパンチを食らったら」との恐怖心を抱きながら戦うことを強いられる。
だが、村田はその後に取り組み始めた「ビジョン・トレーニング」の成果で相手のパンチを見極める能力が格段に向上した。また、視力そのものもトレーニング開始後に向上した。この効能は科学的に証明されていないのではっきりした因果関係は不明だが、眼球を動かすトレーニングを続けたことで眼筋が柔軟性を取り戻し、視力を調整する機能も改善したとも考えられる。
いくら相手のパンチがケタ違いの破壊力を備えていても、まともに被弾することを避けられれば倒されることはない。ボクシングで強くなるために必要なのは、スパーリングでテクニックを磨く、効果的なトレーニングで減量の負担を大きくすることなくパワーをアップさせる。そこにプラスアルファ、相手のパンチをいかにもらわないかに磨きをかけた。
格下相手の防衛戦「眼中になし」
「日本ボクシング史上最高の試合」と言っても過言ではないゴロフキン戦に向けては、2019年12月に行われた前回の防衛戦から実に2年4カ月もの間隔が空いた。
コロナ禍による影響が最大の要因だが、もしゴロフキンにこだわらなければもっと格下の相手と対戦して、防衛回数を増やすという「名誉」を得る選択肢もなくはなかった。
その選択をしなかった理由は、前回の試合後に口にした言葉にあった。
「勝てるから、とか勝てない、とかで試合をやるのではなく、皆さんが見たいと思う試合をやるんです。そういう(安易に勝てそうな)試合をやっている時間はない」と話し、「いかにゴールに向かっていくかが大事」とゴロフキンと、当時は対戦相手候補として名前が挙がっていた「カネロ」ことサウル・アルバレス(メキシコ)と拳を交えることをボクシング人生の集大成として見据えている心境を明かしていた。
7日には記者会見が行われ、この試合に向けてゴロフキンと初めて対面した。その席で「いい準備ができた」と話した村田がリング上でどんなパフォーマンスを見せてくれるかが楽しみだ。
《ライタープロフィール》
森伊知郎(もり・いちろう)横浜市出身。1992年から2021年6月まで東京スポーツ新聞社でゴルフ、ボクシング、サッカーやバスケットボールなどを担当。ゴルフではTPI(Titleist Performance Institute)ゴルフ レベル2の資格も持つ。
【関連記事】
・村田諒太とマスボクシングで対峙した筆者が予想するゴロフキン戦、勝機あり!
・村田諒太VSゴロフキンに垣間見えるテレビ局の現状とボクシング中継の未来
・歴代のボクシング年間最高試合、今年は村田諒太vsゴロフキンで決まり?