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日本ボクシング界を担う井上尚弥、今後の課題と「PPVの十字架」

ディパエンを下した井上尚弥,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

ディパエンに8回TKO勝ちで防衛成功

プロボクシングのWBAスーパー&IBF世界バンタム級王者・井上尚弥(28=大橋)が14日の防衛戦でアラン・ディパエン(30=タイ)に8回TKO勝ちし、WBA6度目、IBF4度目の防衛に成功した。

2年1カ月ぶりとなった国内での世界戦リング。ディパエンのタフネスに手を焼いた22勝目(19KO)は、今後の課題と井上が背負う十字架を露呈した試合となった。

試合は序盤から終始、井上のペース。ただ、守備的に戦う挑戦者はガードを固め、打ち合いに応じない。井上はガードの隙間からアッパーを突き上げ、強烈なボディブローもヒットさせるが、驚異的な打たれ強さの前に倒しきれず、ラウンドを重ねた。

8ラウンドに左フックでようやく初めてのダウン。辛うじて立ち上がった挑戦者の顎に左フックを命中させると、レフェリーが試合を止めた。

「倒されない」戦い方をする相手

ディパエンはムエタイで60戦のキャリアがあるというが、国際式に転向してこれが15戦目。WBA10位、IBF5位にランクされていたとはいえ、世界タイトルは初挑戦だ。しかも今回で早くもキャリア3敗目となった。戦前から予想されたことだが、実力差は歴然としていた。

マッチメイクが思惑通りに進まなかったのは仕方ないだろう。井上が目指す4団体統一に向け、WBC王者ノニト・ドネアやWBO王者ジョンリエル・カシメロとの統一戦は、新型コロナの影響やお互いの様々な事情もからんでいまだ実現していない。

とはいえ、長期ブランクを作るわけにもいかず、国内で世界戦を組むために陣営が交渉を重ねた結果のディパエン戦だ。「ミスマッチ」との批判が起こらないのも、挑戦者の予想以上のタフネスに加え、そういった事情があったからだ。

ただ、今後はディパエンのように、倒しに来るのではなく、倒されない戦い方をするボクサーとの対戦機会が増える可能性もある。軽量級では破格のパンチ力を誇る井上と、真正面から殴り合って勝てるボクサーは世界中を探しても見つからないかも知れない。

ガードを固め、足を使い、軽いパンチを当てて始めから判定を狙うタイプもいる。仮に勝てなくても、「井上に倒されなかった男」として箔がつく。負けたとしても世界ランキングはあまり下がらないかも知れない。パウンド・フォー・パウンドで上位にランクされ、世界中から注目される井上はそれほどの存在なのだ。

スイッチに垣間見えた「KOへの焦り」

ディパエンはべた足でフットワークがなかったため、井上のパンチを浴び続けて最後は力尽きた。そもそも実力差も大きく、打たれ強さだけでフルラウンド耐えしのぐのは無理があった。

逆に井上が倒してきたエマヌエル・ロドリゲスやジェイソン・モロニーは勇敢に立ち向かってきたからこそ、ド派手なノックアウトになった。ドネア戦は判定にもつれ込んだとはいえ、ダウンシーンもあり、ハイレベルな激闘だった。

しかし、ディパエン並みのタフネスを持ち、スピードも十分、身長やリーチもあるボクサーが「倒されない」ことを重視して対峙した時、それでも井上は倒し切れるだろうか。

井上はパワーだけでなく、スピードも一級品なのでつかまえることは十分に期待できるし、誘い出すテクニックも持っている。判定も視野に無理をせず勝ちに徹すればリスクは少ない。

ただ、ディパエン戦の7ラウンド、井上は一瞬だけ左構えにスイッチした。一方的に攻めながらも倒し切れず手を焼いていたため、目先を変える戦法を試みた。

かつてミドル級統一王座を12度防衛したマービン・ハグラーは「スイッチヒッター」としても有名だった。本来はサウスポーだが、試合中に何度もスイッチして相手を幻惑。自分のペースに引きずり込んで、世界中の強豪を沈めていった。

しかし、スイッチは右も左も遜色ないのが大前提。付け焼刃のスイッチは極めて危険だ。普段はほとんど右構えで戦う井上も、それを察知したのか、すぐに右構えに戻した。慣れないことをしてでも、ノックアウトへの突破口を切り開こうとした焦りが垣間見えた瞬間だった。

「勝ち方」にこだわった井上

ディパエン戦は7ラウンドまでジャッジ3人とも井上のフルマーク。仮に8ラウンドから井上が流し、12ラウンドまで全てポイントを取られたとしても判定で勝てていた。

しかし、それでは満足しないのが日本のスーパースターだ。戦前から「リードパンチで倒す」などと圧倒的な内容で勝つことを宣言していた通り、あくまで「勝ち方」にこだわった。それはボクサーとしての本能でもあり、井上のプライドでもあるだろう。今後、予定されるビッグマッチに向けたデモンストレーションにもなる。

おそらく、その姿勢は今後も変わらない。だからこそ「倒されない」ことを目標に戦う相手が現れた場合、井上は苦しむ可能性があるのだ。

そして、その呪縛を一層強めることになりかねないのが、今回導入されたペイパービュー(PPV)。これまではテレビの地上波で生中継されてきたが、今回はひかりTVとABEMAで課金したユーザーだけが視聴できるシステムを試みた。

背景にはコロナ渦によるチケット収入の減少やテレビ局の経営状況の悪化と同時に、日本ボクシング界の改革につながるチャレンジという側面もあるだろう。井上のファイトマネーは、今回も軽量級では破格の1億円を超えると報じられている。しかし、大多数のプロボクサーは世界タイトルを獲らない限り、アルバイトをしないと生活することもままならない。他のプロスポーツに比べて収入が低い現実がある。

新たなビジネスモデル確立へ求められる「魅せる試合」

プロ野球の一軍最低保証年俸は1600万円だ。高卒ルーキーでもレギュラーでなくても、一軍登録されていれば保証される。一方、日本ボクシング界で年間1600万円稼ぐボクサーが何人いるだろうか。

PPVのビジネスモデルが確立すれば、ボクサーの収入の底上げにつながる期待が持てる。面白い試合をする選手、人気のあるボクサーが、より高額の収入を得られれば夢は広がり、ボクシング界の底辺拡大にもつながるだろう。

つまり、井上は日本ボクシング界の未来を変える可能性のある壮大なチャレンジの途中であり、そのためにも「お金を払ってでも観たい」と思わせる試合を続ける必要があるのだ。本人がそれを背負い込む必要は全くないが、後から振り返ればボクシング界にとってターニングポイントだったということになる可能性は高い。

次戦はバンタム級統一戦か、スーパーバンタム級に上げて4階級制覇挑戦の可能性もあるという。誰が相手でも内容を問われる試合が続く。そして、日本が誇る井上尚弥だからこそ、全てのハードルをクリアし、日本ボクシング界に革命を起こしてくれることに期待している。

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