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現代では考えられない NBA通算リバウンド数トップ2の平均リバウンド数は?

2018 3/14 11:22OSはーでん
ティム・ダンカン
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Ⓒゲッティイメージズ

NBA通算リバウンドランキング

NBAの通算リバウンドランキングをみてみよう。
※今回のランキングはNBAでの数値のみ。ABA/NBAでプレイしている選手の、ABAでの数値は含めない。

通算リバウンドランキング

ⒸSPAIA

チェンバレンとラッセルが圧倒的な数値でトップ2に輝いている。この二人は同時期にNBAでライバル関係を築いた二人でもある。オフェンスのチェンバレン、ディフェンスのラッセル(どちらの選手もオフェンス・ディフェンスにおいてトップレベルではあるが)のような形で、NBAを席巻したセンター達であった。

そして、比較的近年の選手としては、ティム・ダンカンやケビン・ガーネットがランクインしている。この二人も同世代で、NBAで共に活躍した。背番号も同じ21番をつけることもあり、ライバル関係の二人であった。ダンカンは「史上最高のパワーフォワード」、ガーネットは「史上最高のオールラウンダー」と称されることも多く、2000年代のNBAを代表する選手達だ。

平均リバウンド27というシーズンも! 伝説の巨人ウィルト・チェンバレン

見事、キャリア通算リバウンド数23924を記録し、NBAの歴史上トップに立っているチェンバレンは、まさに「神話にでてくる伝説の巨人」のような選手だった。

まずはその圧倒的な体格。当時からNBAで活躍し、ライバルでもあったビル・ラッセルが208cm、97kgであったのに対し、チェンバレンは216cm、124kgと一回り以上も大きかった。その体格に加え、学生時代には陸上競技でも好成績を収めるなど、特別な身体能力も併せ持っていた。

チェンバレンがNBA入りしたのは1959-60シーズン。そのルーキーイヤーから平均37.0ポイント、27.0リバウンドを記録し、シーズンMVP、オールスターMVP、ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)、得点王、リバウンド王と、個人賞をほぼ独占状態。この記録からも、いかにチェンバレンが圧倒的だったかがわかる。

その後、キャリアを終えるまでにリバウンド王に計11回、得点王に7回輝いた。そして、1967-68シーズンにはアシスト王にも輝くなど、バスケットにおいて彼に出来なかったことはなかったと言わしめるようなキャリアを送った。

また、彼のプレイ時間も驚愕の数値で、1ゲーム48分のNBAにおいて、キャリア平均45.8分/ゲームも出場していた。これは2017-18シーズン(02/21現在)のトップ、ジミー・バトラーの出場時間が37.3分/ゲームであることからも、その異常さがうかがえる。まさに、チェンバレンは他に類をみない"伝説の巨人"だったのである。

NBA優勝11回!チェンバレンの前に立ちはだかったビル・ラッセル

通算リバウンドランキング第2位のラッセルは、チェンバレンと同時期に活躍した選手。個人としての成績はチェンバレンの方が上だが、チームとしての成績およびNBAへの功績はラッセルの方が上だと言えるだろう。

まず、驚くことにラッセルの優勝回数は8連覇を含む、計11回。1966-67シーズンからは、ヘッドコーチと選手を兼任しながら2連覇を果たすなど、キャリアの最後まで彼の影響力は抜群だった。さらに、シーズンMVP獲得回数は5回。チェンバレンに得点やリバウンド王の獲得回数は劣るが、「チームを勝たせる」といった点では、ラッセルが一枚上手だった。

そんなラッセルの持ち味はなんといってもディフェンス。今回のランキング2位に入るリバウンド力はもちろん、当時の成績として残ってはいないが、ブロックも凄まじく、NBAのディフェンスの概念に革命をもたらしたといわれている。

そのディフェンスを含め、献身的なプレイの数々で、チームを圧倒的な強さに押し上げた。この数々のラッセルの功績は讃えられ、現在のNBAファイナルでのMVP賞は「Bill Russell NBA Finals MVP Award」と、彼の名前が冠されている。

NBA1勝利を手に入れた男といえば、このビル・ラッセルなのである。

【番外編】国民的バスケ漫画の主人公のモデル デニス・ロッドマンの成績は?

バスケファンでなくても有名なSLAM DUNKの主人公、”桜木花道”のモデルと言われているのが、デニス・ロッドマン。派手な身なりと、リバウンドやルーズボールに飛び込む姿は多くのファンを虜にした。

そのロッドマンは、とにかくリバウンドに強く、ランキングでも上位に来てもおかしくない気がするが、実際の数字は通算11954本で23位であった。

ロッドマンのリバウンド数が思うように伸びなかったのは、キャリア序盤が響いている。ロッドマンがNBA入りした1986-87シーズンのデトロイト・ピストンズは、当時からイースタン・カンファレンスの上位常連の強豪だった。当然、選手層が厚くロッドマンはベンチスタートの日々が続いた。

しかし、ロッドマンの実力が徐々に認められ、スタメンに定着すると、彼のリバウンドの能力は歴代屈指のものとなった。1990-91シーズンからは2ケタ平均を記録するようになり、翌年1991-92シーズンには自己最高の18.7リバウンドを記録し、自身初のリバウンド王を獲得。さらにロッドマンの快進撃は続き、この年から7年連続でリバウンド王に輝き、リバウンド=ロッドマンという認識をファンに植え付けた。

そのリバウンド力とハードなディフェンス、ルーズボールに飛びつくハッスルプレイなどで、ピストンズとブルズで計5回の優勝に輝いた。通算リバウンドランキングが"23位"というのは、ブルズで3連覇を共に成し遂げたジョーダンの背番号と一緒であることも、奇妙な一致である。

このロッドマンやラッセルの優勝回数をみれば、「リバウンドを制するものはゲームを制す」という言葉がしっくりくることだろう。