甲斐拓也が背番号「19」を継承
2月11日に急逝した野村克也氏は、現役時代のほとんどを背番号「19」で過ごした。南海の後継球団であるソフトバンクでは、今年から甲斐拓也が背番号「19」を背負う。同じ捕手というポジションだけに「19を見てもらいたかった」というコメントに並々ならぬ思いがにじむ。
野村氏は南海からロッテ、西武と渡り歩き、監督としてはヤクルト、阪神、楽天とNPBでは6球団のユニフォームに袖を通している。各球団で背負っていた背番号を誰が背負ってきたのだろうか。その“後継者”たちを振り返ってみたい。
1954年、1955年の2年間だけということもあり、あまり知られていないが、野村氏が南海入団時に与えられた背番号は「60」だった。
その後は「不惑の大砲」こと門田博光や「九州のバース」こと山之内健一、中村晃が着用。2015年からは育成契約から這い上がってきた釜元豪が背負っている。
南海、ロッテ、西武とも主に「19」を投手が着用
入団3年目となる1956年から背負った背番号「19」は、所属は変われど現役引退まで変わらなかった。
南海の後継球団であるソフトバンクでは、野村氏以降は主に投手が着用していた。1980年代を支えた山内孝徳、大越基と永井智浩のドラフト1位コンビ、シダックスの教え子でもある森福允彦らである。野村氏以降で野手が「19」を背負ったのは、大越が外野手へ転向した1996年の1年のみだった。
今シーズンは前述の通り捕手の甲斐が背負う。大越の特殊な例をのぞくと、野村氏が南海でプレーした最後のシーズンである1977年以来、43年ぶりに野手が「19」を着用するのである。捕手としては甲斐が初めての例だ。
1978年の1年だけプレーしたロッテでも「19」は、野村氏以降ほぼ投手が着用している。井辺康二や成本年秀が背負い、2008年からは唐川侑己がこの番号を着用している。野手が背負ったのは2006、2007年に助っ人としてやってきたマット・ワトソンただひとり。日本人の野手では誰も「19」を背負っていないのである。
選手として最後に所属した西武でも「19」の扱いはほぼ同じ。森慎二や長田秀一郎、そして2018年からは2017年ドラフト1位の齊藤大将と投手が背負っている。野村氏以降で野手がこの番号を背負ったのは2013年のライアン・スピリーしか存在しない。
楽天は藤平尚真が後継者に
指導者としてはヤクルト時代に「73」、阪神時代は「82」と「73」、楽天では「19」を背負った。ヤクルトと阪神では大きな番号を背負っていたこともあり、その後はコーチが背負っており現役選手が背負った例はない。
しかし楽天は選手の後継者がいる。監督を退任後の2010年から空き番号となっていたものの、2017年からは2016年ドラフト1位指名で入団した藤平尚真が背負っている。藤平は野村氏の訃報に対し「重みを改めて感じた。恥のない野球人になれるように努力する」とコメント。球団の功労者でもある大先輩の後を受け継ぐ決意を示している。
今シーズンは甲斐拓也(ソフトバンク)、唐川侑己(ロッテ)、齊藤大将(西武)、そして藤平尚真(楽天)が、野村氏の背負った「19」で戦うわけだ。各選手の活躍が、野村氏への弔いとなるはずだ。
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