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衣笠祥雄一筋に貫いたフェアプレーとカープ愛

2018 5/1 16:16藤本倫史
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島
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ⒸSPAIA

衣笠=フェアプレーと愛社精神

私は現在、33歳で、衣笠氏のプレーを生で見たことがない。しかし、カープを研究しているものとして、過去の映像や資料を見るとどれだけ偉大な選手、そして人物だったかがよくわかる。若輩者がレジェンドに対して語ることはいささか気後れがするが、私なりの「衣笠祥雄論」を述べ、哀悼の意を捧げたい。

衣笠氏が引退から31年経った今もなお、多くのファンから愛されているのは、「フェアプレーの精神を持ち、愛社精神を貫き通した」からだろう。

フェアプレーと聞くと、日本では正々堂々と戦うや高校野球の選手宣誓を思い浮かべるかもしれない。しかし、フェアプレー発祥の地、イギリスでは相手を「リスペクト」することだと教えられる。その相手は対戦相手だけでなく、指導者、審判、球団スタッフ、ドクター、ファンなど競技に関わる全てに及ぶ。

これを体現したのが、まさに衣笠祥雄ではないか。衣笠氏を語る上でまず最初に思い浮かぶのが、連続試合出場記録。この中では、デットボールを始めとした怪我のエピソードに事欠かない。その中で、注目したいのは、どれだけ相手に非があるプレーをされても、嫌な顔をせず、傍若無人な態度を取らなかったことだ。これは試合や相手に対してのフェアプレーを常に忘れなかったからだろう。

問題児がファンに愛されるレジェンドに

ただ、この精神や態度はいきなり作られたものではない。新人時代は夜遊びに明け暮れて門限を破り、怒られ続けていた。しかも、いつまでたっても、成績を残せない問題児だった。

そんな衣笠氏を球団は見捨てることなく、逆に期待していたという。とは言うものの、そのままの態度を続けさせるわけにはいかない。

ある日、自分を獲得してくれた名スカウト木庭教氏が、衣笠氏を正座させ、「どれにするんや」と広島の企業の名刺を見せ、クビをちらつかせお灸をすえた。これには流石の問題児衣笠も血の気が引き、生活態度を改めることを決意。そして、名将根本陸夫監督のもと、当時打撃コーチの関根潤三コーチが夜中まで付き合い、徹底的に鍛え直した。

フロントから現場スタッフまで一丸となって、選手を厳しくも温かくバックアップする姿には、選手と球団と言う関係だけでなく、家族愛に近いものを感じる。これこそが、ファミリー球団と言われる由縁であり、復興のシンボルとして市民球団型の経営を続けられてきた大きな理由ではないだろうか。

愛社精神を引き継いだ黒田と新井

愛社精神と聞くと、時代遅れなイメージがあるかもしれない。だが、コアなファン層であった当時の30~50代の男性サラリーマンは、高度経済成長とともに赤ヘル黄金期を築いた鉄人衣笠と、自分を重ね合わせていたのではないか。

朝から晩まで会社と家族のためにひたすらに労働に汗を流した人々は、衣笠氏の一日も試合(会社)を休まず、泥にまみれて全力プレーを行う姿、相手をリスペクトする精神に共感し、日々の活力を与えられていたのだと思う。

この愛社精神を80年代から大野豊、北別府学、前田智徳、野村謙二郎、緒方孝市などが引き継いだ。そして、近年、究極の愛社精神を見せたのが黒田博樹と新井貴浩である。

黒田は20億円を捨て、新井は大ブーイングの記憶と恥を承知で戻ってきた。外から見ると「なぜ?」と思われるかもしれないが、理屈ではない。金や名誉だけでないものが、広島東洋カープにあり、彼らの行為はまさにカープ愛を具現化するものであった。

衣笠氏は引退後、監督やコーチの職に就かなかった。これはマスコミやファンの間で、色々な憶測を呼んだ。真偽はわからないが、私は良くも悪くも、フェアプレーと愛社精神を貫き通した結果ではないかと考える。ファンは皆、背番号3をもう一度、球場で観たかったはずだ。だが、望みは叶わず、レジェンドの記憶だけがファンの心に沁みついている。その事はロマンを感じさせるとともに、歯がゆさを与える。

私はそのロマンを2008年に旧広島市民球場で開催されたカープOBオールスターゲームで、少し想像することができた。私はその時、企画運営側におり、グランドの背番号3、衣笠氏を間近で見た。

現場では、誰にでも気さくに接し、あの優しそうな笑顔を振りまいていた。しかし、試合に入ると鋭い目つきに戻る。2008年と言えば、ちょうどカープの低迷期。あの時、カープの監督になってくれたらと考えたファンは何万人いるのだろうか?

他球団からコーチなどの要請が来ても、頑として引き受けなかった男は、天に召された。改めて、選手衣笠の功績と広島カープに与えた影響を思いながら、故人を偲びたい。