野球熱が高い県
愛媛県は、プロ野球の球団こそないものの、近年では四国アイランドリーグのチームとして愛媛マンダリンパイレーツが創設されたり、松山にある坊っちゃんスタジアムでは年に数回の公式戦の開催に加え、オールスターゲームも開催されるなど、野球に対する熱は非常に高い地域の一つだ。
県内の済美高校は2004年に創部3年目にして選抜大会優勝・夏の甲子園大会準優勝を果たした。
当然、済美高校からも多くのプロ野球選手が巣立っている。何人か着目して紹介する。
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愛媛県には、高校野球の名門、済美高校や今治西高校がある。 高校野球ファンならずとも、1度は名前を聞いたことのある名門だろう。 愛媛県出身のプロ野球選手にはどんな選手がいるのかみてみよう。
愛媛県は、プロ野球の球団こそないものの、近年では四国アイランドリーグのチームとして愛媛マンダリンパイレーツが創設されたり、松山にある坊っちゃんスタジアムでは年に数回の公式戦の開催に加え、オールスターゲームも開催されるなど、野球に対する熱は非常に高い地域の一つだ。
県内の済美高校は2004年に創部3年目にして選抜大会優勝・夏の甲子園大会準優勝を果たした。
当然、済美高校からも多くのプロ野球選手が巣立っている。何人か着目して紹介する。
安樂投手は、済美高校2年生の時に第85回大会の選抜大会にエースとして出場し、見事準優勝を果たした。
準優勝という結果や150km/hを超える剛速球も話題にはなったが、それ以上に注目されたのは、安樂投手が全5試合を全て完投し、合計46回(延長を含む)を投げ、投球数も772球に上ったことだった。このとき非常に話題になり、後に肘を痛めた際も、このときの投球過多が原因ではないかと揶揄されたほどだった。
実際にプロ入りの際には、右肘の怪我を考慮してか従前の話題ほど入札球団が現れず、ヤクルト・楽天の競合の末に楽天へと入団し、未来のエースとして鍛錬を積んでいる。
NPB所属ではないが、独立リーグのBCリーグの選手兼任監督・岩村明憲選手も愛媛県宇和島市出身であり、宇和島東高校からプロ入りしている。
宇和島東高校時代は甲子園への出場こそなかったものの、1995年には高校選抜の4番を任されるなど、その打棒には定評があった。1996年にドラフト2位でヤクルトに指名されると2000年にはレギュラーに定着し、2004年からは3年連続で打率3割を記録するなど、日本を代表する内野手に成長する。
2006年にポスティングシステムでメジャー移籍を果たし、ワールドシリーズ出場も経験している。
またWBCにも2大会連続で出場し、2大会連続優勝と国際経験も豊富だ。
鵜久森選手は上記した済美高校3年目の甲子園初出場・初優勝、夏の大会準優勝に大きく貢献した長距離打者だ。
済美高校では、4番レフトでレギュラーを張り、高校通算47本塁打を放った。ドラフトでは北海道日本ハムファイターズから8位指名を受け入団する。
ルーキーイヤーからドラフト1位の陽岱鋼選手(現・巨人)らと共に強化指定選手に選ばれるなど、期待値の高い選手だったが、長打が武器ではあるものの、三振の多さと打率の低さから安定感が欠点とされ、中々芽が出なかった。2015年限りで日本ハムから戦力外通告を受けたが、ヤクルトに入団し、貴重な右の代打として活躍している。
西原圭大投手(広島)と熊代聖人選手(埼玉西武)は高校時代に愛媛県でしのぎを削り、今では二人ともプロへ舞台を移して戦っている。
西原投手は今治北高校のエース、熊代選手は今治西高校の投手兼外野手として活躍し、それぞれ甲子園出場も果たしている。
なお、この二人は、高校3年時夏の県大会決勝でぶつかっており、熊代選手が見事甲子園行きを勝ち取った。
その後、西原投手は大学→社会人を経て広島に、熊代選手は社会人を経て埼玉西武に入団している。
四国の中でも野球文化が盛んな愛媛県は、戦前の名選手景浦將選手を輩出した県でもある。 現在現役のプロ野球選手の数はそれほど多いとは言えないが、西原投手と熊代選手のように愛媛県で戦った両雄が交流戦や日本シリーズで対峙する場面もあるだろう。今後、済美高校や今治西高校などの強豪校からどんな選手が排出されるのか、期待が高まる。