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大混戦パ・リーグ回顧、1973年のプレーオフを制した野村南海の「死んだふり」

2022 9/14 06:00SPAIA編集部
ソフトバンク藤本博史監督とオリックス中嶋聡監督,ⒸSPAIA
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パ・リーグは史上空前の大混戦

2022年のパ・リーグは空前の大混戦となっている。ソフトバンク、西武、オリックス、楽天の上位4チームはゲーム差が小さく、どこがペナントレースを制するのか全く予想できない展開だ。

過去を振り返ると、やはり大混戦や予想外の結末を迎えたシーズンがある。ソフトバンクの前身・南海とオリックスの前身・阪急が争った1973年のパ・リーグを振り返ってみたい。

前期は南海、後期は阪急が優勝した1973年

当時のパリーグは前後期制を取っており、それぞれで優勝したチームがプレーオフを戦い、勝った方が日本シリーズに進出する制度だった。1973年、前期優勝を果たしたのが南海ホークス。65試合で38勝26敗1分けだった。2位のロッテに2ゲーム差をつけ、プレーオフへの出場権を獲得した。

後期になると一転、勢いづいたのが阪急ブレーブス。南海は阪急との後期開幕4連戦で3敗1分けと最悪のスタートを切り、後期は結局、阪急と13試合対戦して12敗1分けだった。なんと1つも阪急から勝ち星を挙げられなかったのだ。

後期開幕ダッシュに成功した阪急は14連勝を記録するなど、43勝19敗と圧倒的な成績で優勝する。2位ロッテとの差は5.5ゲーム。南海は3位ながら30勝32敗と勝率5割を切っていた。

福本豊の足を封じるために編み出されたクイック投法

プレーオフの下馬評は、圧倒的に阪急有利。後期で南海に12勝1分けだったから当然だろう。

南海の野村克也選手兼監督は考えた。プレーオフは3勝先取。カギは前年の106盗塁に続いて、この年も95盗塁でタイトルを獲得していたリードオフマンの福本豊をいかに封じるかだった。シーズン中のように福本に自由に走らせては、いいようにやられてしまうのは目に見えていた。

その秘策として編み出されたのが「クイック投法」だった。今でこそ、走者を背負うと投手は当たり前のようにクイックモーションで投げるが、当時はクイックと言えるほど精度の高いものではなく、どちらかといえば「すり足投法」と言えた。

野村はオールスターのベンチで、福本に盗塁の極意を直接聞いていた。盗塁は捕手の送球よりも、投手のモーション次第だと福本は返答したという。モーションを完璧に盗むことができれば、捕手がどれだけ良い送球をしようとセーフになる。それなら投手のモーションを小さくして、盗塁の隙を与えなければいい。後に「名将」と呼ばれる38歳の選手兼任監督はそう考えた。

福本を一塁に釘付けにして見事に優勝

ただ、クイック投法をできる投手はなかなかいなかった。プレーオフまでの短期間でフォームを改造するとは無茶な話だ。その中で1人だけクイックで投げられたのが、佐藤道郎だった。

日大三高から日大を経てドラフト1位で入団した佐藤は主にリリーフとして起用され、1年目に18勝、4年目の1973年も11勝をマーク。フォーム的に足を上げてもすり足でも、球威に大きな影響はなかった。

迎えたプレーオフ。大阪球場で行われた第1戦で、いきなり福本に先頭打者本塁打を打たれたものの、南海は2回に3点を奪って逆転する。6回、福本が佐藤道郎からヒットを放って出塁。阪急からすれば絶好のチャンスだった。

同時に、それは南海にとってもチャンスだった。福本の盗塁を阻止できれば、プレーオフ全体の流れをつかむことができる。

福本は次打者のカウントを悪くしないよう、仕掛けるなら3球目までというポリシーを持っていた。しかし、初球、今までにないクイック投法にタイミングが取れず、福本は1塁から動けない。2球目、3球目も福本は動かない。野村の狙い通り、クイック投法の効果はてきめんだった。

後続を打ち取り、初戦をものにした南海は、第2戦、第4戦は落としたものの、第3戦と第5戦に勝利して見事にパ・リーグ優勝。後期で12敗1分けと1勝もできず、圧倒的不利と言われていたプレーオフを制した野村南海は「死んだふり」とも言われた。

あれから49年。今季のパ・リーグはどんな結末が待っているのだろうか。ソフトバンクか、オリックスか、それとも他チームか。歴史的大混戦で球史に残るシーズンとなるかも知れない。

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