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福岡ソフトバンクホークスの奇跡!70年代の奇跡の優勝とは

2017 7/10 10:25Mimu
福岡ソフトバンクホークス,福岡ヤフオク!ドーム
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出典 Kltdexp

2017年リーグ優勝を果たした福岡ソフトバンクホークスの奇跡として、今回はあえて前身の南海ホークス時代のエピソードを紹介したい。 1973年、当時はまだ野村克也さんがプレイングマネージャーとしてチームを引っ張っていた時代だ。 いったいどんな奇跡があったのだろうか。

阪急にまったく勝てなかった後期シーズン

この当時のパリーグは前期・後期制を取っていた。前期・後期でそれぞれ優勝チームを決め、その2チームでプレーオフを開催し、勝った方が日本シリーズ進出という制度だ。そして、南海ホークスは見事に前期を優勝で飾る。65試合で38勝26敗1分け、2位のロッテオリオンズとの差は2ゲーム。順当にプレーオフへの出場権を獲得した。

しかし、後期になると一転、その勢いを完全に阪急ブレーブスに奪われてしまう。後期の開幕4連戦で3敗1分。なんと1つも勝つことができなかった。それどころか後期で阪急と13試合対戦したのだが、その成績は12敗1分。開幕戦どころか、後期シーズンを通して1つも阪急から勝ち星を挙げられなかったのだ。

一方の阪急はこの南海戦で勢いをつけると、14連勝も記録し、後期シーズンを圧倒的な成績で優勝する。43勝19敗で、2位との差は5.5ゲーム。逆に南海は3位ながら30勝32敗と借金を作ってしまった。

阪急に勝つための対策とは

プレーオフが南海と阪急で行われることが決定したのだが、下馬評では圧倒的に阪急有利だった。後期シーズンは南海の12敗1分だったわけなのだから、当たり前ではある。

しかし、野村選手も黙っているわけにはいかない。どうにかして阪急に勝つ方法を考える。プレーオフは3勝先取だから、先に阪急から3勝をもぎ取ればいい。そして真っ先に思いついたのが、やはりリードオフマンである福本豊選手を封じるという策だった。何がなんでも彼の盗塁を封じなければ、翌年以降もいいようにやられてしまうのだ。他にも手ごわいバッターはいたが、まずは福本豊選手の足を封じることが、南海にとっては最優先だった。

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