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北海道日本ハムファイターズの歴代監督がチームに残したモノ

2016 8/13 15:01
野球ボール,ⒸShutterstock.com
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Photo by Evgenii Matrosov/Shutterstock.com

北海道に本拠地を移転し、人気、実力ともに大きくアップした北海道日本ハムファイターズ。チームを築き上げてきた歴代監督の中から4人をピックアップし、チームに何を残したのか検証する。

大沢啓二監督

大沢啓二は「大沢親分」の愛称で親しまれ、某テレビ番組のスポーツコーナーで「喝!!」「あっぱれ!!」とダメ出ししたり褒めたりする姿が印象的だった。

男気、一本槍、豪快なイメージの強い大沢監督だが、監督としてチームを率いる手腕は確かなもので、監督としての通算成績は1547試合で725勝723敗99引き分け。勝率5割1厘をマークしている。勝負の世界で1547試合もして勝ち越すのは大変なことなのは言うまでもない。

そんな大沢監督が北海道日本ハムファイターズに残したもの。それは、「必勝パターン」の大切さではないだろうか。

大沢監督の必勝パターンは、名投手・江夏豊が登場するまでのシナリオを作ること。江夏が在籍した3年間、ファイターズはまさに常勝軍団だった。

トレイ・ヒルマン監督

トレイ・ヒルマンは、ニューヨーク・ヤンキース傘下のマイナーで11年間も監督経験を積んでいる。メジャーの実績をひっさげ、2003年から日本ハムの監督を務めた。

外国人監督ということで何かと苦労も多かったが、ヒルマン監督は2006年のリーグ制覇を皮切りに、44年ぶりの日本一、球団新記録となる14連勝達成など、目を見張る実績を残した。

そんなヒルマン監督がチームに残したモノ。それは、「ファンサービスの大切さ」ではないだろうか。

2004年にチームが北海道へ本拠地を移した際、ファンサービスや地域密着への活動に積極的に取り組み、北海道日本ハムファイターズとして地元の人達に愛されるようになったのは、ファン思いのヒルマン監督あってのことだっただろう。

梨田昌孝監督

梨田昌孝監督が球団に残したモノ。それは、北海道日本ハムファイターズの強いイメージの定着ではないだろうか。

前任のトレイ・ヒルマン監督からチームを任された梨田監督は、日本ハムファイターズの監督としてチームを4年率いた。その間、リーグ優勝、クライマックスシリーズ進出などの成績を残し、在任4年のうち3年はAクラス入りしている。この実績だけでも十分凄さが伝わるのだが、梨田監督の実績で特筆すべき点は他にある。

それは、在任4年の間、すべて勝ち越してシーズンを終えていることだ。ファイターズの長い球団史の中で、これは梨田監督だけだ。

このすべての年で勝ち越した勝負強さから、その後、北海道日本ハムファイターズは強豪チームとしてのイメージが定着したのではないだろうか。

栗山英樹監督

栗山監督は現役の北海道日本ハムファイターズの監督だ。

監督経験がない中で2012年に就任。投手陣の大黒柱、ダルビッシュ有がメジャーへ移籍した年と重なったため、厳しい戦力での監督人生のスタートだったが、1年目から見事にリーグ優勝。今や歴代監督の中でも押しも押されもせぬ名将と言える。

そんな栗山監督がチームに残した、残しつつあるモノ。それは、「常識にとらわれない発想」ではないだろうか。

大谷翔平を見るとよく分かる。球界初となる同一シーズンでの10勝10本塁打という成績が、それを物語っている。

常識にとらわれない栗山監督だったからこそ、二刀流の育成を受け入れたが、他の指導者であれば、バッターかピッチャーのどちらかに専念させた可能性は小さくない。

4人の名将によって築かれた礎

今回紹介した4人の監督はそれぞれ個性的で、精神論のみならず、卓越した戦略をもとにチーム運営をしてきた。それぞれの監督の良い部分がすばらしい形で受け継がれ、今日の日本ハムの躍進があるような気がしてならない。また、中田翔らがこれからどこまで大きな選手に育っていくのか、ファンならずとも楽しみで仕方ない。

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