新庄剛志新監督就任で注目度アップ
2004年に本拠地を北海道に移転し、人気、実力ともに大きくアップした北海道日本ハムファイターズ。新庄剛志新監督の就任が決まり、今後ますます注目を集めそうだ。これまでチームを築き上げてきた歴代監督の中から4人をピックアップし、チームに何を残したのか検証する。
2004年に本拠地を北海道に移転し、人気、実力ともに大きくアップした北海道日本ハムファイターズ。新庄剛志新監督の就任が決まり、今後ますます注目を集めそうだ。これまでチームを築き上げてきた歴代監督の中から4人をピックアップし、チームに何を残したのか検証する。
大沢啓二氏は「大沢親分」の愛称で親しまれ、某テレビ番組のスポーツコーナーで「喝!!」「あっぱれ!!」とダメ出ししたり褒めたりする姿が印象的だった。
男気があり、豪快なイメージの強い大沢監督だが、監督としてチームを率いる手腕は確かなもので、監督としての通算成績は、ロッテ時代の2年間も含めて1547試合で725勝723敗99分け、勝率.501をマークしている。勝負の世界で1547試合もして勝ち越すのがいかに大変なことか言うまでもない。
そんな大沢監督が北海道日本ハムファイターズに残したモノ。それは「必勝パターン」ではないだろうか。
広島で後に「江夏の21球」と語り継がれる名勝負の末に日本一に輝いた名リリーフ江夏豊を、高橋直樹との交換トレードで獲得。江夏は1981年から3勝6敗25セーブ、8勝4敗29セーブ、2勝4敗34セーブと広島時代以上の好成績をマークした。1981年に悲願のリーグ優勝を果たすなど、江夏が在籍した3年間の日本ハムはまさに常勝軍団だった。
トレイ・ヒルマンは、ニューヨーク・ヤンキース傘下のマイナーで11年間も監督経験を積み、2003年から日本ハムの監督を務めた。
外国人指揮官ということで何かと苦労も多かっただろうが、ヒルマン監督は2006年にリーグ制覇、44年ぶりの日本一を達成。翌2007年には球団新記録となる14連勝を記録してリーグ連覇するなど、目を見張る成績を残した。
そんなヒルマン監督がチームに残したモノ。それは「ファンサービスの大切さ」ではないだろうか。
2004年にチームが北海道に本拠地を移した際、ファンサービスや地域密着への活動に積極的に取り組み、北海道日本ハムファイターズとして地元の人達に愛されるようになったのは、ファン思いのヒルマン監督あってのことだっただろう。
梨田昌孝監督は現役時代を過ごした近鉄の監督として2001年にリーグ優勝。2004年、オリックスとの球団合併に伴って退任し、2008年から日本ハムの監督に就任した。2年目の2009年にはリーグ優勝を果たしている。
梨田昌孝監督が球団に残したモノ。それは、北海道日本ハムファイターズの強いイメージの定着ではないだろうか。
トレイ・ヒルマン監督の後任として指揮を執った梨田監督は、チームを率いた4年のうち3年はAクラス入りしている。リーグ優勝だけでなく、クライマックスシリーズ進出の常連として確かな足跡を残した。
しかも特筆すべきは、在任4年の間、唯一のBクラス(4位)だった2010年も含めて、全て勝ち越してシーズンを終えているのだ。日本ハムの長い球団史において、これは梨田監督だけだ。全てのシーズンで勝ち越した確かな采配手腕のおかげで、日本ハムの強いイメージが定着したと言えるだろう。
栗山英樹監督は、監督経験がない中で2012年に就任した。投手陣の大黒柱、ダルビッシュ有がメジャーへ移籍した年と重なったため、厳しい戦力での監督人生のスタートだったが、1年目から見事にリーグ優勝。今季まで実に10年の長きにわたって指揮を執り、球団史に残る監督として名を残した。
そんな栗山監督がチームに残したモノ。それは「常識にとらわれない発想」ではないだろうか。
大谷翔平がその代表格だろう。投手と打者の「二刀流」として大成させ、今やメジャーをも席巻する大スターとなった。
常識にとらわれない栗山監督だったからこそ、二刀流の育成を受け入れたが、他の指導者であれば打者か投手のどちらかに専念させた可能性も小さくない。
4人の監督はそれぞれ個性的で、精神論のみならず、卓越したリーダーシップや戦略をもとにチームを率いた。
2019年から3年連続5位と近年は低迷しているが、中田翔がチームを離れ、斎藤佑樹が引退し、新庄監督が就任する来季は新しいチームに生まれ変わるだろう。2023年には北広島市に新球場がオープン予定。これからどんなドラマを見せてくれるのか、ファンならずとも楽しみでならない。
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