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巨人の最強捕手となった阿部慎之助選手

2017 4/12 20:20cut
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シドニーオリンピックに出場した中央大学時代

阿部慎之助選手(巨人)は千葉県浦安市の出身で高校は東京の安田学園高校に進学する。安田学園は阿部選手が入学当時甲子園への出場経験はなく、東東京でも強豪校ではなかった。入学当時は三塁手として試合に出場し本核的に捕手となったのは1年の秋からだ。高校3年間で阿部選手は甲子園に出場することはなく東都大学野球連盟の中央大学へ進学する。
大学時代は東都の二部、一部両リーグで活躍。「打てる捕手」としてプロからの注目度も高く2000年には初めてプロ・アマ混成となったシドニーオリンピックの日本代表に選ばれる。当時のチームメートには石川雅規選手(青山学院大学→ヤクルト)、杉内俊哉選手(三菱重工長崎→ダイエー)ら後のプロ野球選手も多数在籍していたのだ。
シドニーオリンピックでは8試合に出場し打率.111(18打数2安打)と結果を残すことができず悔しい思いをしている。阿部選手はその後も北京オリンピック、第2回WBC、第3回WBCと国際大会を経験しているが好成績を残すことはできていない。
シドニーオリンピックが終わった直後のドラフトで阿部選手は巨人を逆指名し入団に至る。

毎年成長を遂げるスーパー捕手

2000年のドラフト会議で巨人を逆指名し入団した阿部選手。2001年のルーキーイヤーには開幕戦からマスクをかぶるなど127試合に出場する。巨人における新人捕手の開幕スタメンは23年ぶりのことだった。年間を通じて規定打席には到達しなかったものの打率.225、13本塁打、44打点を記録。新人捕手としては申し分ない成績を残す。
2年目のシーズンでは規定打席に到達し打率.298と3割一歩手前まで躍進。本塁打も18本と20本にあと少しまで迫るなど打撃面で開花。ベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝く。巨人は1980年代に正捕手としてチームを支えた山倉和博選手以来の規定打席到達となった。長らく正捕手不在に喘いでいた巨人にも待望の「打てる正捕手」が誕生したのだ。
圧巻だったのは2004年シーズンだ。開幕から絶好調だった阿部選手は4月に球団の月間記録となる16本塁打を放つ。また、開幕33試合目にして20本塁打に到達。これは世界最速となった。シーズン半ば以降は本塁打のペースも落ち着くが最終的に33本塁打を放ち巨人の捕手として初めて30本塁打の大台に到達したのだ。
完全に巨人の正捕手に落ち着いた阿部選手は2007年、2009年にも33本塁打、32本塁打と30本塁打超の本塁打を放ち捕手という枠を超えた強打者に成長する。2012年には打率.340、104打点で自身初となる打撃タイトルを獲得した。
2013年こそ打率.296、32本塁打、91打点の成績を残すが、それ以降はケガもあり成績は下降線を辿ってしまう。

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