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西武・平井克典が球団17人目の”FA宣言残留” 過去に宣言残留した選手は?

2023 12/14 06:00SPAIA編集部
西武・平井克典と外崎修汰
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ⒸSPAIA

ブルペンの柱がFA宣言残留を発表

西武は13日、国内フリーエージェント(FA)権を行使していた平井克典投手(31)が残留することを発表した。

西武の選手がFA宣言残留するのは、昨年オフに国内FA権を行使して残留した外崎修汰に続き、平井でのべ17人目。2018年に中村剛也が海外FA権を行使して残留して以来、6年連続で引き留めに成功している。これまで12球団最多の20人がFAで他球団(メジャー含む)へと移籍している西武だが、新たな流れができつつあるようだ。

西武のFA宣言残留選手


1993年オフに導入されたプロ野球のFA制度。西武のFA流出の悲劇は、1994年オフに始まった。当時の左腕エース・工藤公康と野手の中心的存在だった石毛宏典がダイエー(現ソフトバンク)に移籍。さらに、1996年オフには不動の4番・清原和博が巨人へと移籍していった。

その一方で、1994年オフに渡辺久信、伊東勤、辻発彦、吉竹春樹の4選手が宣言残留。翌1995年には郭泰源と佐々木誠、1997年には伊東が2度目のFA宣言で残留を決めるなど、チームに残る主力も多かった。

しかし、2000年代に入ると、FAによる主力の流出が加速する。現在監督を務める松井稼頭央が2003年オフにメジャーへ、和田一浩は2007年オフに中日へ移籍。正遊撃手だった中島裕之(宏之、現中日)も2012年オフにメジャーを目指して海外FA権を行使。2013年には涌井秀章がロッテへ、2016年オフには岸孝之が楽天へと、主力投手も相次いで他球団へと移籍した。

この激流にようやく待ったをかけたのが、栗山巧だった。岸と同年に保有していた海外FA権を行使して残留を表明。2000年代で球団初のFA宣言残留選手となった。ただ、メジャーという新たな夢を追いかける選手の出現もあり、この間に12人もの選手がチームを去っていた。

FA移籍からの「出戻り」組が増加

その後も流出は止まらない。2018年オフには同年の打点王・浅村栄斗と正捕手の炭谷銀仁朗がチームを去り、翌2019年オフにはシーズン最多安打記録を持つ秋山翔吾もメジャーへと移籍。昨オフにも森友哉がオリックスへと移籍した。

しかし、一時期に比べれば、傷口は最小限にとどめつつある。2018年にはチームの主砲・中村剛也、2020年には守護神・増田達至、そして昨年は外崎修汰、源田壮亮と球界トップレベルの二遊間コンビの引き留めに成功している(※)。

また、FAで出て行った選手の“出戻り”にも寛容となっている。2009年オフに工藤公康、2017年オフに松井稼頭央(現監督)、2019年オフには松坂大輔が古巣へ復帰。さらに、今オフも2018年オフに巨人へFA移籍し、今年10月に楽天を戦力外となっていた炭谷銀仁朗が6年ぶりに復帰することも決まった。

長年、主力選手の流失に頭を悩ませていた西武だが、近年は「生涯ライオンズ」を選択する選手も再び増加傾向に。球団の尽力もあり、功労者を呼び戻す流れもできつつある。数多の名選手を輩出してきた常勝球団だけに、人材の流出を食い止めることができれば、再びの黄金期到来も夢ではないだろう。

※源田は今季国内FA権取得。複数年契約を結んでいるため行使はせず

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