ブルペンの柱がFA宣言残留を発表
西武は13日、国内フリーエージェント(FA)権を行使していた平井克典投手(31)が残留することを発表した。
西武の選手がFA宣言残留するのは、昨年オフに国内FA権を行使して残留した外崎修汰に続き、平井でのべ17人目。2018年に中村剛也が海外FA権を行使して残留して以来、6年連続で引き留めに成功している。これまで12球団最多の20人がFAで他球団(メジャー含む)へと移籍している西武だが、新たな流れができつつあるようだ。
1993年オフに導入されたプロ野球のFA制度。西武のFA流出の悲劇は、1994年オフに始まった。当時の左腕エース・工藤公康と野手の中心的存在だった石毛宏典がダイエー(現ソフトバンク)に移籍。さらに、1996年オフには不動の4番・清原和博が巨人へと移籍していった。
その一方で、1994年オフに渡辺久信、伊東勤、辻発彦、吉竹春樹の4選手が宣言残留。翌1995年には郭泰源と佐々木誠、1997年には伊東が2度目のFA宣言で残留を決めるなど、チームに残る主力も多かった。
しかし、2000年代に入ると、FAによる主力の流出が加速する。現在監督を務める松井稼頭央が2003年オフにメジャーへ、和田一浩は2007年オフに中日へ移籍。正遊撃手だった中島裕之(宏之、現中日)も2012年オフにメジャーを目指して海外FA権を行使。2013年には涌井秀章がロッテへ、2016年オフには岸孝之が楽天へと、主力投手も相次いで他球団へと移籍した。
この激流にようやく待ったをかけたのが、栗山巧だった。岸と同年に保有していた海外FA権を行使して残留を表明。2000年代で球団初のFA宣言残留選手となった。ただ、メジャーという新たな夢を追いかける選手の出現もあり、この間に12人もの選手がチームを去っていた。