川上巨人がV3達成した1967年
夏の甲子園で習志野(千葉)が優勝した1967年。プロ野球では、川上哲治監督率いる巨人が日本シリーズで西本幸雄監督率いる阪急を下して3連覇を達成した。
当時のドラフト会議は予備抽選で指名順を決定し、奇数順位は予備抽選の1番から12番へ、逆に偶数順位は12番から指名していく変則ウェーバー方式。現在のように重複すれば抽選というルールではないため、予備抽選による運、不運が大きかった。
予備抽選の結果は南海―西鉄―阪神―近鉄―大洋―東京―巨人―サンケイ―阪急―中日―東映―広島に決まった。

各球団1巡目指名選手のプロ入り後の成績を振り返る。
西鉄は大分商高・河原明、阪神は市和歌山商高・野上俊夫
南海は慶応義塾大で東京六大学通算22勝を挙げた右腕・藤原真を1位指名したが入団拒否。藤原は全鐘紡に入社し、1968年ドラフトでサンケイから1位指名を受けてプロ入りした。1971年オフに東映に移籍し、通算23勝を挙げている。
西鉄は大分商高の河原明を指名した。夏の甲子園でベスト8入りした右腕は、プロ入り後にサイドスローに転向。2年目に12勝、3年目に13勝を挙げる活躍を見せ、江藤慎一との交換トレードで大洋に移籍した1975年にユニフォームを脱いだ。通算280試合、41勝76敗1セーブの成績を残している。
阪神は市和歌山商高の野上俊夫を指名した。同年春のセンバツでノーヒットノーランを達成し、夏の甲子園でも4強入り。しかし、プロ入り後は1勝も挙げることができず、1975年に村上雅則、相羽欣厚との交換トレードで和田徹とともに南海へ移籍して野手転向したが、同年限りで引退した。
近鉄は早稲田大の三輪田勝利を指名した。東京六大学リーグ通算23勝右腕は入団を拒否して大昭和製紙に入社。1969年ドラフト会議で阪急から1位指名を受けてプロ入りした。
大洋は国学院大・小谷正勝を1位指名
大洋は国学院大の小谷正勝を1位指名した。1971年にリーグ最多の58試合に登板し、11勝をマークするなど主にリリーフとして活躍。通算285試合、24勝27敗6セーブの成績を残し、引退後は大洋、ヤクルト、巨人、ロッテなどでコーチを歴任した。
ロッテの前身、東京は福山電波工高の村田兆治を指名した。「マサカリ投法」から投げ込む剛速球とフォークを武器に1975年に最優秀防御率と最多セーブに輝き、1981年には19勝を挙げて最多勝。最優秀防御率は1976年と1989年にも獲得するなど通算215勝177敗33セーブをマークした。NPB最多の148暴投はフォークを投げ続けた右腕の勲章とも言えるだろう。
巨人は明治大の高田繁を指名した。浪商高1年夏の甲子園で、1学年上のエース尾崎行雄を擁して全国制覇。大学では1年秋から7季連続ベストナインに輝き、東京六大学通算打率.331、127安打を記録した。プロ入り後は1年目から120試合に出場して新人王、1971年には盗塁王に輝くなど巨人のV9に貢献。通算1512試合出場、1384安打、139本塁打、200盗塁の成績を残し、引退後は日本ハムの監督やGM、ヤクルトの監督、DeNAのGMなどを歴任した。
サンケイは日本楽器の中野孝征を指名した。作新学院高時代に甲子園で春夏連覇を果たし、卒業後は岩崎電気を経て日本楽器に入社。都市対抗で準優勝し、プロ入りした。しかし、1年目に61試合出場したのが最多で徐々に出場機会が減り、1973年にユニフォームを脱いだ。通算207試合出場、39安打、6本塁打だった。
巨人2位で山内新一、サンケイ5位で松岡弘
阪急は東北福祉大付高の渡辺一夫を1位指名した。宮城大会の名取高戦でノーヒットノーランを記録した長身右腕への期待は高かったが、一軍出場のないまま引退した。
中日は電電東京の土屋紘を指名した。長野・臼田高から駒澤大を経て入社した電電東京では都市対抗で準決勝進出に貢献。プロ入り後は1973年シーズン中に佐藤政夫、奥田直也との交換トレードで水谷則博とともにロッテへ移籍し、1975年に引退した。通算44試合登板で4勝5敗だった。
東映は大宮高の吉田誠を指名した。夏の甲子園は初戦敗退したが、秋の国体で優勝。東映では長距離砲として期待されたものの出場機会が増えず、1975年に移籍した太平洋でプロ初アーチを含む2本塁打を放ったものの、同年限りで引退した。
広島は電電近畿の井上弘昭を指名した。1973年に川畑和人との交換トレードで中日に移籍すると、1975年に元チームメイトの山本浩二と首位打者を争い、惜しくも打率.318で2位に終わったもののリーグ最多の149安打を放った。1981年には富田勝、大島秀晃との交換トレードで日本ハムに移籍。1985年にコーチ兼任として西武でプレーし、通算1531試合出場、1058安打、155本塁打をマークした。
2位以下では、三菱重工三原・山内新一(巨人2位)、中央大・中塚政幸(大洋2位)、日本通運・竹之内雅史(西鉄3位)、電電北陸・高橋里志(南海4位)、三菱自動車水島・松岡弘(サンケイ5位)、若狭高・川藤幸三(阪神9位)らがプロ入りした。
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