中嶋聡監督が新型コロナ陽性判定で6試合指揮
異色の指揮官だった。2年連続優勝を争うオリックスの水本勝己ヘッドコーチ(53)。8月23日に中嶋聡監督(53)が新型コロナウイルス陽性判定を受け、急きょ指揮を任されることになった。1軍でのタクトは長いキャリアで初めてだ。
幸い、中嶋監督は無症状だった。「いつも通りに頼む」と水本ヘッドに託して、チームを離脱。陽性判定を受けた都内で静養に入った。
水本監督代行は練習中から自ら大きな声を上げ、盛り上げ役を買って出た。エース山本由伸投手も「ヘッドがすごく雰囲気も作ってくださって、すごくいい雰囲気でできていた」と振り返る。
中嶋監督とは試合前後に連絡を取り合っていた。もともと雰囲気の明るいオリックスベンチだが、普段とは違うムードが生まれていたのは間違いない。
監督不在はちょうど1週間、6試合におよんだ。「監督が帰ってきた時に戦える態勢を作っておきたい」と背伸びすることなく、奇をてらうこともなく、冷静なベンチワークに集中した。西武、楽天に対して3勝3敗という結果で、中嶋監督にバトンを戻した。
「とにかく監督につなぐために必死なわけですよ。そこしかない。チームが勝つのが一番うれしい。代行だからどうだって言うのは気にもしていないし、チームが勝つために、監督になんとかバトンタッチできるようにと思っていた」
6試合の代行を務め終えて、そう振り返った。
広島入団も2年で引退…ブルペン捕手からコーチ、2軍監督に
選手時代の実績はない。松下電器から捕手としてドラフト外で広島入り。1軍出場は果たせず、わずか2年間で引退してブルペン捕手に回った。長い裏方仕事を通して少しずつ野球観を育んだ。
1年先輩の現広島監督の佐々岡真司から信頼を寄せられ、ブルペンで投球を受け続けた。若手だった黒田博樹からも慕われた。野手の新井貴浩らも含め、彼ら主力選手とは「同志」とも呼べる関係になっていく。当時は低迷時代。どうしたらチームが強くなるか365日、あいさつのように語り合ってきた。
黒田、新井が移籍してからも広島球団に残った。自らの立場も変化していく。07年には初めてコーチの肩書を背負った。3軍統括、2軍バッテリーなどを経て、16年からは2軍監督に昇格した。長年、若手選手と親身に接してきた姿を、松田元オーナーも高く評価した。
するとその年、1軍が25年ぶりにリーグ優勝。そこから3連覇の黄金時代を築くのだが、17年には水本監督率いる2軍もウエスタン・リーグで優勝している。若手選手を次々と1軍に供給し、主力の調整の場としても2軍を機能させた。リーグ3連覇を縁の下でしっかり支えていた。
リーグ連覇へベンチのキーマン
地味ながら実績を積み重ねてきた苦労人は、次第にスポットライトの下へと導かれていく。21年、中嶋監督がオリックスの1軍監督に正式就任すると、ヘッドコーチとしてオファーがかかった。
中嶋監督とは2軍監督同士で交流があった。同学年で同じ捕手出身でもある。一から育ててくれた広島を出ることにはためらいがあったが、松田オーナーも快く、新しい挑戦を後押ししてくれた。
そして就任1年目にリーグ制覇を経験。今年、コロナ余波ではあったが、ついに1軍のタクトを握る日が来た。NPB(日本プロ野球機構)に選手として所属し、現役で1軍経験がない人が1軍で「監督」を務めたのは実はプロ野球史上初のことだった。
中嶋監督は緻密で、戦略家だ。コロナ感染や故障などで年間通じて、昨年と同じ戦力で戦うことができないまま、勝負の9月を迎えた。ストレスを抱えながらの戦いだが、ベンチワークの見せどころでもある。横で支える水本ヘッドがどう機能するか。連覇のカギを握る存在なのかもしれない。
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