岡本が子供じみた態度を見せたワンシーン
今シーズン開幕前、評論家らによる順位予想で巨人は阪神と並んで優勝候補に推されていた。強力な打線、若手投手の台頭、経験豊富な指揮官と勝てる要素が揃っているとみられていたからだ。
しかし、4月こそ首位で終えたものの、その後はジリジリと後退。6月終了時には2位ながら首位・ヤクルトに実に12.5ゲームもの差をつけられるありさまだ。主将・坂本勇人、エース・菅野智之の負傷離脱や新型コロナウイルスの影響など要因はさまざま。主砲・岡本和真がチームの柱に成長しきれていない点も大きい。
これを象徴するようなシーンがあった。6月29日の中日戦(郡山)の6回、先頭・岡本が空振り三振に倒れた際、すっぽ抜けたバットが三塁側の中日ベンチに飛び込んだ。すると岡本は中日サイドに一瞥もくれず、不機嫌そうな表情で一塁側ベンチにさっさと引き揚げてしまったのだ。
ペコペコ謝る必要はないが、危険なシーンだったことに違いはなく、帽子のひさしに手をやるなどして“謝意”を示すべきだった。巨人の主力選手らしからぬ姿にがっかりしたファンも多いだろう。自身の調子が上がらないことに加え、絶好調のヤクルト・村上宗隆と比較されることが多くイライラしていたのかもしれない。
それでも阿部慎之助(現一軍作戦兼ディフェンスコーチ)や松井秀喜であれば絶対に見せることのない、子供じみた態度だった。
移籍して分かった松井秀喜の存在感
長嶋茂雄終身名誉監督が「巨人は歴史的にピッチャーより野手が主導権を持っている時の方が強い」と話したことがある。チームの精神的支柱といった意味での指摘で、ONコンビ、原辰徳(現監督)、松井秀喜、阿部慎之助らがこれにあたる。逆に野手の大黒柱がいない時の巨人はもろい。松井のメジャー移籍後もしばらくそうだった。
2002年シーズンを最後に松井がメジャーに移籍して以降、03年、04年は3位だったが、チームの内情はボロボロ。清原和博の言動が目に見えて荒っぽくなり、03年は原監督、04年は堀内恒夫監督との確執がささやかれるようになった。
また、フロントは松井の抜けた穴を埋めようと、03年はヤクルトからロベルト・ペタジーニを、04年は近鉄からタフィ・ローズ、ダイエーから小久保裕紀(無償トレード)を獲得したが、まるで機能せず、チームはまとまりを欠いた。
05年は清原、ローズらの“暴走”に歯止めがかからず、8年ぶりのBクラスとなる5位に転落。原監督が復帰した06年も4位に終わり、球団史上初の2年連続Bクラスという屈辱にまみれた。
当時、フロント首脳から「松井の存在の大きさを改めて思い知らされた」という話を聞かされた。松井がいたから巨大戦力は微妙ながらも均衡を保っていたわけで、松井が抜けたために一気にチーム全体がグラついたというのだ。
それでも、阿部が主将に任命された07年からリーグ3連覇を果たす。阿部は捕手として、15年からは一塁手としてチームを牽引。18年に岡本の台頭で出場機会が減り、19年シーズンを最後にユニホームを脱いだ。
その岡本は20年、21年と2年連続で本塁打、打点の2冠に輝き、昨年まで4年連続で30本塁打以上をマークするなど松井や阿部の後継者として十分な成績を残している。ただ松井も阿部も成績だけでチームメート、ファンを納得させていたわけではない。
長嶋終身名誉監督「立ち居振る舞いで見せていかないと」
長嶋終身名誉監督は松井がまだ成長過程だった頃「俺もワンちゃんもそうだったけど、成績だけじゃないのよ。言動というか立ち居振る舞いで見せていかないと。巨人は(他球団とは)違う。松井はそうなれますよ」と話している。
その松井は入団3年目の95年、現役最後の試合を終えた原から「あとは頼んだぞ」と声をかけられた際「堂々と『ハイ!』と答えられなかった自分が情けない」と話していたものだ。自分なりに巨人のリーダーの難しさを理解していたわけだ。
現状、巨人は優勝はおろか2位も現実的な目標ではなく、3位に滑り込むのが関の山。下を見れば最下位の可能性も否定できない。前評判の高さからすれば惨敗と言っていい。
来年以降はどうか? 岡本がひと皮むけて松井や阿部の後継者となることができれば、また強い巨人が戻ってくるとみる。
《ライタープロフィール》
松下知生(まつした・ともお)愛知県出身。1988年4月に東京スポーツ新聞社に入社し、プロ野球担当として長く読売ジャイアンツを取材。野球デスクなどを務めた後、2021年6月に退社。現在はフリーライター。
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