1159日ぶりの白星…苦しみと喜びが表出した涙
投げられなかった苦しみ、そして、投げられるようになった喜びが大粒の涙になってあふれ出た。7月3日の中日ドラゴンズ戦。5回5安打無失点の快投で1159日ぶりの白星を手にした阪神タイガースの才木浩人は試合後、敵地・バンテリンドームの三塁ベンチ前で行われたインタビューで人目もはばからず泣いた。
「ちょっと色々な思いが…。なかなか良くならない肘とずっと過ごしていたので、今こうやって痛みもなく思い切って楽しんで野球ができるというのがすごくありがたいなと思いますし。またこうやって一軍に上がって勝てたっていうのは、すごく自分にとっても嬉しい」
絶望から光ある場所へ帰ってきた。須磨翔風高から入団2年目の2018年に6勝を挙げて将来を嘱望されながら、19年5月の2軍戦で右肘を痛めて離脱。「朝起きたら、もう痛い。あぁ、また痛いのかって…手術前の方がきつかった」と振り返るように、メスを入れるまで、痛みとの戦いは1年以上も続いた。
保存療法では改善の兆候が現れず、20年11月にトミージョン手術を決断。長く辛いリハビリを経て、1148日ぶりに1軍マウンドに“帰還”を果たした。
頼れる“兄貴”が放った100号メモリアル弾
育成降格も経験し、入団時から付けていた背番号35を取り戻した右腕の歩んできた道のりを、仲間たちも見てきた。
後押ししたのは才木が3位で入団した16年ドラフト同期の面々。2回無死一塁で大山悠輔は、柳裕也のストレートを完ぺきに捉えてバックスクリーン右へ先制2ランを叩き込む。
自身のプロ通算100号にもなったアーチ。ドラフト1位の頼もしい兄貴分は「同期で入ったかわいい後輩なんで先に点を取ってあげたいとずっと思っていた。才木の後ろを守るのも凄く久しぶりなんで、初めて会った時のこととか、(才木が)高校生の時の感じを思い出しながら守っていた」と感慨深げに会心の手応えを振り返った。
同期入団のライバルも復活を信じ快投
そして、3点リードの7回を無失点に抑えホールドを記録したのは4位の浜地真澄。同じ高卒で背番号も1つ違いの36と、才木とはずっと比べられる存在だった。
「入団時から本当にずっと1歩先をいってましたし、そのおかげで僕も頑張れたっていうのはあるので。良い刺激をずっともらってた。こうやって、こういう日に一緒に投げられたのはすごくうれしいこと」
すぐに1軍で頭角を現した才木とは対照的に、2軍の下積みが長かった。時にはピリピリした視線でその背中を追いかけた時期もあるが「(リハビリ期間も)ずっと一番練習してたってのは見てた。すごいピッチングするだろうなと思っていた」と復活を信じた1人だ。
3年ぶりにつかんだ白星は、苦難を何度も乗り越えてきた本人の努力の賜。そして、その復活の瞬間を願った“盟友”のアシストも効いた価値ある1勝になった。
《ライタープロフィール》
チャリコ遠藤 1985年4月9日生まれの37歳。本名は遠藤礼。関西大学から2008年にスポーツニッポン新聞社入社。2010年から阪神タイガース担当で2018年から「チャリコ遠藤」のアカウント名でTwitterで積極的に情報を発信中。フォロワーは3万人超。趣味は海釣り。
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