4日の日本ハム戦で6勝目、防御率0点台に突入
阪神・青柳晃洋投手(27)が存在感を高めている。
昨季、13勝(6敗)を挙げプロ7年目で初のタイトルを獲得。東京五輪メンバーにも名を連ね、名実ともに阪神のエースとして地位を固める1年になった。
今年はさらにすごみが増してきた。新型コロナウイルスにかかってシーズン初登板が3週間遅れたにもかかわらず、好投に次ぐ好投。最下位に沈むチームで打線の援護に恵まれない中、順調に勝ち星を重ねている。6月4日の日本ハム戦(甲子園)では8回無失点で、トップタイに並ぶ6勝目(1敗)。防御率はついに0点台に突入した。
「結局、やり続けた人とあきらめた人の差」
青柳の成長の過程は興味深いものがある。横浜市出身。中学時代は軟式野球部で3番手投手だったという。当時からサイドスロー。「人一倍努力した」と振り返るように、真面目な性格で、練習熱心だったが結果には結びつかなかった。
高校も強豪ではない公立の川崎工科に進学した。ここで、下級生から神奈川では注目される投手に成長。プロ入りを夢見たが、ドラフトで指名漏れを経験する。
中学、高校で味わった悔しさが今の青柳のベースになっていると言っていいだろう。中学時代から「プロになる」と言っては友人に笑われた。「ずっと下手くそだった。それでもプロになるという夢を見続けていたし、周囲にも言い続けていました」。かたくななまでに目標、夢を曲げなかった。その性格が「長所です」と自負する。
もちろんプロ野球は、気持ちだけで切り開ける世界ではない。困難があっても焦らず1歩ずつ歩みを進める我慢強さ、そして自分を信じる力が青柳にはあったようだ。
「結局、やり続けた人とあきらめた人の差だと思います。人生はうまくいかないことがたくさんある。どんなに頑張ってもうまくいかなくて、結果も出なくて、毎日毎日、つらい思いをしたこともありましたが、ずっと続けているうちにできるようになる。それが一番だと思う」
帝京大ではのちに日本ハムに進む西村天裕と切磋琢磨(せっさたくま)。途中、右肘のクリーニング手術もありながら、最後までエースを争った。4年時の活躍が評価され、2015年ドラフトで阪神から5位指名を受けた。口で言うほど簡単なことではないが「続けること」「信じること」で、ようやく念願のプロ入りを実現させた。
まだまだ進化を追い求めて「積み重ね」
青柳は昨年から、1勝につき10万円分の図書カードや本などを出身の横浜市鶴見区内の小学校や保育園に寄付する活動を始めた。冬に母校などを訪れて13勝=130万円分の寄贈式も行った。子どもたちを前にした講演では「積み重ね」の大事さを訴えた。
積み重ねは当然、プロ入りしたあとも続いている。左打者対策で、逃げるように落ちるシンカーを習得。試合の中でもフォームに変化をつけるなど、前年からの進化を求め続け、エースの地位をつかんだ。
強気だが、謙虚な性格だ。阪神の矢野燿大監督は、ことあるごとに青柳の野球に対する姿勢を評価する。「チームにいろいろな影響を与えてくれる選手」と言う。謙虚とは自分の能力と向き合うことでもある。
あこがれ続けたプロの世界。今度はそこで食べ続け、極みへと向かっていくために、努力を積み重ねていくことだろう。
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