ベストナインとGG賞3回、リーグを代表する三塁手
「松坂世代」は、大部分が「元選手」になった。フラッグシップである松坂大輔も昨年引退、今季はソフトバンクの和田毅ただ一人が現役で活躍している。和田にはまだ可能性が残ってはいるものの「名球会入り」する松坂世代は、出現しない可能性が高くなった。
名球会の条件である日米通算「200勝」に一番近かったのは松坂の170勝(NPB114勝、MLB56勝)、「250セーブ」は藤川球児の245セーブ(NPB243セーブ、MLB2セーブ)、そして「2000安打」は村田修一の1865安打だった。
1000安打を記録したのは3人。村田は盗塁以外の記録で同世代1位だ。東福岡高時代は投手兼中軸打者だったが、3年春夏と甲子園に出場。春は3回戦で横浜高の松坂と投げ合い、ともに完投するも0-3で敗れた。日本大学に進むと野手に専念し、2002年に自由獲得枠で横浜に入団した。
横浜では本塁打王2回、ベストナインにも選ばれた。2011年にはFA権を行使して巨人に移籍。打撃タイトルには縁がなかったものの三塁手でベストナイン3回、ゴールデングラブ3回。リーグを代表する三塁手となった。
非情の戦力外通告、縁の深いBCリーグ栃木に入団
37歳になる2017年も規定打席未達ながら、100安打14本塁打58打点、打率.262とレギュラー選手としての成績を残し、翌年は名球会入りに向けて挑戦するものと思われた。しかし、この年再びFA権を獲得した村田に対し、巨人は戦力外を通告。自由契約となった。
村田はトライアウトには参加しなかったものの、他球団のオファーを待った。だが声はかからず、翌年3月にルートインBCリーグの栃木ゴールデンブレーブスに入団。栃木は夫人の出身地であり、球団本部がある小山ベースボールビレッジは義父の出身校である小学校の跡地を利用したものだった。
NPBへの復帰をあきらめなかった村田は「プレーをしながら(NPBの移籍期限である)7月31日までNPBのオファーを待ち続けると宣言した。
独立L最多6025人のファンが集まった最後の試合
村田は独立リーグという自らが置かれた境遇で誠実にプレー。栃木ゴールデンブレーブスは2017年からリーグに参入したチームであり、選手は若く、未熟なプレーが目立った。だが、村田は三塁を守りながら投手や他の野手にも積極的に声をかけ、チームを引っ張った。
ⒸSPAIA(撮影・広尾晃)
5月11日から行われた巨人3軍との交流戦では初戦、2戦ともに代打での出場だったが、2戦目は9回に代打で逆転2ランを放った。
インタビューで村田は「ランナーを返したいという気持ちとファンの皆様のために頑張りたいという気持ちでバットを振りました。なんとか長打を打ちたいと思っていたので、集中もしていました。若い選手たちが踏ん張って一点差で頑張っていてくれていましたし、スタメンで出られなくて申し訳ないと感じた分、出来る最善を尽くしたいと思いました」と話している。
この試合の入場者は独立リーグとしては異例の3145人を記録。また試合はAbemaTVで生中継配信されていた。以後も栃木のファンは村田修一のプレーを見るために球場に詰め掛けた。
しかし7月31日を迎えてもNPB球団からのオファーはなかった。村田は8月1日に球団本部で記者会見し、シーズン終了までの現役続行を表明。チーム最終戦である9月9日に行われた群馬ダイヤモンドペガサス戦では、村田の最後の試合を見ようと、この年すべての独立リーグ最多の6025人のファンが集まった。
また、栃木の主催試合での観客数も35試合で50491人を記録。1000人いれば御の字と言う独立リーグでは異例の数字だった。
最終戦の試合終了後、再び記者会見を行った村田は引退を宣言。栃木での成績は60試合210打数72安打14本塁打62打点、打率.343という堂々たるものだった。翌2019年、村田は巨人にコーチとして復帰。今は一軍打撃兼内野守備コーチとして原辰徳監督をサポートしている。
どんな境遇でもベスト尽くした野球人生
2017年に村田が自由契約となったのは、当時監督だった高橋由伸ら首脳陣が若手の抜擢を考えていたからだ。翌年、村田の背番号「25」を継いだ岡本和真は全試合出場を果たし3割30本100打点をマーク。巨人の「新旧交代」の政策は功を奏したと言えよう。
しかし独立リーグに移籍しても真剣にプレーし、若い選手を指導した村田の姿を野球界はしっかり見届けていた。その真摯な姿勢に感じ入り、古巣の巨人は村田を指導者として迎え入れた。
不運に見舞われると不貞腐れたり、やる気をなくしたりするものだが、村田はどんな境遇でもベストを尽くした。「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があるが、高校、大学、プロと村田の野球人生はまさにこの言葉のようだった。指導者としても花を咲かせることだろう。
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