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阪神の参考になる?1992年の巨人が借金10の最下位から巻き返した要因

2022 4/23 06:00松下知生
阪神の矢野燿大監督,ⒸSPAIA
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ⒸSPAIA

最下位転落で藤田元司監督の進退問題が浮上

1992年、巨人は4月中旬に6連敗を喫するなど苦しいスタートとなった。5月8日からの大洋3連戦(横浜スタジアム)を力なく3連敗で終えると、借金はついに10(9勝19敗)に達して最下位転落。チームには重苦しい空気が流れる。

そんな中、関本哲男球団代表補佐は「このままでは勝てない」と発言。4年目を迎えた藤田元司監督の途中休養もあり得る状況となった。

藤田監督は指揮官に復帰した89年にチームを日本一に導くと、翌90年は独走でセ・リーグ連覇を達成。しかし、日本シリーズでは森祗晶監督率いる西武に1つも勝てず惨敗し「全て監督である私の責任」と唇をかんだ。

打倒・西武を誓って臨んだ91年は序盤から低迷。4月30日には後ろ盾といわれた務臺光雄読売新聞社名誉会長が死去したことで、シーズン中から進退問題に火がついた。務臺名誉会長との関係が悪かった長嶋茂雄氏の復帰の機運が高まったのだ。

ところが、6月にフロントは藤田監督を続投させる方針を発表。これを受けて藤田監督はコーチ陣の全員残留を要望するが、渡辺恒雄読売新聞社社長が納得しない。横綱審議委員会の委員も務めていた渡辺社長は「稽古総見のぶつかり稽古を見てみろ。あっちは真剣勝負だ。巨人はテレンコ、テレンコじゃないか!」と不満をぶちまけた。

結局、12年ぶりのBクラスとなる4位に沈み、近藤昭仁ヘッドコーチと松原誠打撃コーチが解任。藤田監督は、渡辺社長から「藤田君は情に厚いが、少々厚すぎるところがある」と嫌味を言われながら、続投することになる。そんないきさつがあっただけに、92年はただでさえ重い雰囲気の中で開幕を迎えていたのだ。

中尾孝義との交換トレードで西武から大久保博元を獲得

最下位に転落した翌日の5月11日、巨人は中尾孝義との交換で西武から大久保博元を獲得する。広岡達朗前監督の時代から肥満型の体形を嫌われ、二軍でくすぶっていた大久保に活躍の場を与えようと考えた、西武・根本陸夫管理部長の主導によるトレードだった。

新任の中西太打撃コーチは「大久保はいいよ。飛ばす力は天性」と高く評価。藤田監督もチームに新風を吹き込んでくれる存在と期待し、5月13日のヤクルト戦(平和台)からスタメンで起用した。大久保もベンチの期待に応え、西武関係者が驚くほどの大活躍。「デーブ効果」でチームの逆襲が始まった。

「原(辰徳)さん、篠塚(和典)さん、吉村(禎章)さんとか周りを見ればスターばかり。すごいっスよね。こんなチームで試合に出させてもらえて幸せっすよ。監督もボクの体形のことなんて何も言わないですし。最高っスよ!」。大久保が目を輝かせながらそう話したのをよく覚えている。巨人ナインには見られない表情だったからだ。

前年からの流れの中で、選手には藤田監督にこれ以上、恥をかかせてはいけないという思いがあった。悲壮感が漂うほどで、開幕当初は逆に硬さにもつながっていた。

しかし大久保が見せた楽しそうにプレーする姿が何かを変えた。チームは活気づき、6月7日の中日戦(東京ドーム)から10連勝。1敗した後、4連勝でAクラスに浮上すると、さらに1敗後、7連勝でついに首位に立つ。

ポイントは新戦力と監督への感謝

最後はさすがに力尽き、首位・ヤクルトから2ゲーム差、阪神と同率の2位でフィニッシュした。それでも6、7月の強さは今でも忘れられない。目に見えて分かる要因は大久保の加入、目に見えない部分では藤田監督への感謝の気持ちだ。もちろん大久保も自分を積極的に起用してくれた指揮官への感謝の気持ちは常に持っていた。

今シーズン、好スタートを切った巨人とは対照的に、ライバル・阪神が大幅に出遅れている。選手は監督の顔を見てプレーする。キャンプイン前日に今年限りでの退任を表明した矢野燿大監督の下、一丸となることは難しそうに見える。何かきっかけはあるだろうか。

《ライタープロフィール》
松下知生(まつした・ともお)愛知県出身。1988年4月に東京スポーツ新聞社に入社し、プロ野球担当として長く読売ジャイアンツを取材。デスクなどを務めた後、2021年6月に退社。現在はフリーライター。

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