新人入団発表で「コーチの言うことを聞かないでほしい」
日本ハムの“BIG BOSS”新庄剛志監督(49)が球界を席巻し続けている。11月30日の「ファン感謝デー」では名車ランボルギーニ・カウンタックでど派手に登場して周囲を驚かせたが、今度は12月5日、ドラフト1位の達孝太投手(17=天理)ら12選手が参加した「新人選手入団発表」で、指揮官はこんな“珍指令”を課した。
「1年間はコーチの言うことを聞かないでほしい。(自分の)実力でプロ野球っていう世界に入ってきているのでまずは自分のパフォーマンスを思いっきり出してほしい」。
来季のレギュラーは白紙で若手もベテランもドラフトの順位も関係ない。まずは自らの素材強化こそ追及すべし…という新庄監督らしい指令となったが、どうしてこの手の話をわざわざ言ったのか。実は新庄監督自身も現役時代、“名物パパ”で名をはせた父親の英敏さん(享年70歳)に小うるさく「コーチ指導無視指令」を聞かされていたからだ。
この“BIG BOSS”にしてこのオヤジありか…。福岡県・博多で造園業を営んでいた英敏さんは2011年8月に胃がんで亡くなっているが、新庄の阪神時代には何かと球場にやってくることが多く、その度に話題も提供する、ありがたい存在だった。
若手時代の新庄に父が送った助言
英敏さんは大の酒好きで取材を受けているときは大抵が酔っ払い状態。「体を大きくしようと思うなら息子も酒をじゃんじゃん飲んだほうがいい!」「ウエートを増やして強い肉体を作るならまずは酒を飲むことが大事!」など放言することを忘れなかったが、中でも強烈だったのが息子・新庄への苦言だ。一杯飲んで陽気な赤ら顔もこの時だけは“鬼の形相”と化した。
「息子はプロに入ったのに(未だ)自分の意見や考え方を口にすることができない。2年目なんてショートにコンバートされ、コーチの人によってたかってアドバイスされたことがあった。何か言いなりみたいになって小さくなって…。ノイローゼ状態だった。そんなことではプロでは通用しない。コーチの言うことなんか聞くな!と何度も言ってるんですよ」
一人で生きていく植木職人としての矜持もあったのだろうか。ふがいない息子の姿にドスの効いた声で不満は爆発…。振り返れば、若き日の新庄監督もまた父親にガミガミと同じことを言われ続けていたのだ。
確かに当時は阪神のスター候補だっただけに、コーチ陣がとにかく手柄を求めてあの手この手のアドバイスをすることが多かった。見た目は派手でも、まだ野球での自己主張はしなかった新庄監督。元来は余計な対立を避け、気配りのできる性格の持ち主だ。それでも聞く耳をあまり持ちすぎるとストレスも溜まった。
山内一弘打撃コーチに反論
1995年のオープン戦で不振だった時のこと。当時の新庄監督は新3番打者として期待され「一発より打点」をテーマに、山内一弘打撃コーチの熱心な指導を受けていた。
同コーチは現役時代に「内角打ちの名人」で名をはせる一方、“教えだしたら止められない、止まらない”の理由から「球界のかっぱえびせん」の異名を取った人物。いくら教えてもらっても結果の出ない新庄監督はそれでも愚直に我慢していたが、同コーチが「ボールが打てないんやから3番も6番も一緒。結局、新庄は8番が似合ってる」と発言するとついに溜まっていたものを吐き出した。
「だったら最初から下位に置いてもらったほうがまし。コロコロと打順が変わって失格といわれるよりもいい」と初めて反論する事態となったのだ。そんなシーズンだから成績も当時自己ワーストの87試合出場、打率2割2分5厘、7本塁打、37打点と散々。新庄監督にとっては「消したいくらいの1年」となったに違いない。
その時の「教訓」はコーチの言うことに頼りすぎてはダメだということ。オヤジが語っていたことは確かだったということ。以来、新庄監督は「自分のことは自分で考えて実行する」というプロ意識が芽生え言動にも変化が生まれていく。
「世界で一番尊敬しているのはオヤジ。そのオヤジが言うことなら何でも聞きますよ」。現役時代の新庄監督はそう語っていたが、新庄親子2代に渡っての“珍指令”に今度は日本ハムのルーキーたちがどう応えるのか、楽しみである。
《ライタープロフィール》
岩崎正範(いわさき・まさのり)京都生まれ。1992年から2021年6月まで東京スポーツ新聞社に勤務。プロ野球の阪神タイガースを中心に読売ジャイアンツ、オリックスバファローズ、ニューヨークヤンキースなどを取材。現在はフリーライター。
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