1995年「野村IDvs仰木マジック」
20日に開幕する日本シリーズは、ともに2年連続最下位からリーグ制覇を決めたオリックスとヤクルトが激突する。今回は阪神・淡路大震災があった1995年以来、26年ぶりの対戦となるが、今一度、当時のオリックスの“状況”を振り返ってみたい。
仰木彬監督率いるオリックス、野村克也監督率いるヤクルトと名将同士のぶつかり合いは「野村IDvs仰木マジック」「もう一つのON対決」と銘打たれて開幕。当時、就任2年目の仰木監督は前身の阪急以来11年ぶりに優勝を決め、『がんばろう神戸』を合い言葉に相当気合いが入っていたが、結果は初戦から3連敗するなど苦戦し1勝4敗で涙を飲んだ。
頼みのイチローら主軸の打線がヤクルトのデータ野球のもと、ものの見事に封じられた仰木監督。開幕前の「仰木は野球をまったく知らない」(野村監督)など再三の挑発にも動じず「勝負はグラウンドでつける」と無視を決め込んでいたが、10月21、22日と早々に本拠地・グリーンスタジアム神戸で連敗を喫するとマジックならぬ“仰木パニック”と化した。
ノムさんの「毒ガス口撃」に焦り
敵地・神宮球場で向かえた24日の3戦目。この日の早朝、日課の散歩に出かけた仰木監督は宿舎近くを流れる隅田川べりを約1時間歩き、リフレッシュに費やしたが、手にはヤクルトのデータを握りしめていた。息抜きの場に資料を持参とはらしくない言動…。勝てない焦りがピークに達していたのだろう。
試合開始直前には評論家として球場にやってきた近鉄・佐々木恭介新監督をベンチ裏に呼び出して助言まで求めている。「イチローの状態をどう見てる?」「神宮でのオーダーについて意見を述べてくれ」など、阪神のコーチ時代に野村ヤクルトと対戦経験がある佐々木監督に質問責め。「仰木監督が信じたことをやってください。今までそれで勝ってきたんですから」と励ましを受けたが、新人監督に教えを乞うとは…まさにワラにもすがる思いだったのだ。
そして仰木監督は「一つ勝てば流れは変わる。戦ってみて両チームの力は紙一重と分かった。スコアラーの報告で傾向が分かった」と強がったものの、チームはイチローの3番起用も空しく延長10回サヨナラ負けし、泥沼の3連敗で後がなくなった。
ヤクルトに一気に攻めたてられたオリックスナインも指揮官同様に早々に自信を失っていた。野村監督に「打席から足が出ている」「内角高めが弱い」など挑発されていたイチローも神経過敏になってボール球に手を出す始末。「考える時間が必要です」といつもの強気発言はどこにも見られない。
藤井康雄も「ウチ以上にデータの把握は完璧。シーズンならいつもヒットなのに単なるゴロにされてしまっている」とIDに脱帽すれば、高橋智は「やっぱり向こうは日本一の経験がある。ヤクルトの力が10ならウチは2ぐらい、野球が違う」と白旗を上げたほどだった。
高津、中嶋両監督の「代理戦争」
25日の第4戦こそ投手の小林が“オマリーへの14球”の名勝負を演じ辛勝したが、力の差は歴然でシリーズは26日の第5戦、ヤクルトが勝ってジ・エンド…。当時、阪神から移籍して2年目だったベテランの岡田彰布は無念にもベンチ入りすることなく終わったがこう話している。
「ヤクルトは広沢、ハウエルが抜けて小粒化したが、その分、野村さんが采配しやすくなってるから前より手強い。仰木監督は初戦で最初に出したエンドランのサインを古田に完璧に読まれて失敗。それからはまったくサインを出さんようになってしまった。シーズンとは違うサインを作るなり、いろいろやった方がいいと言うたんだけど結局やらんかった」
ともに名将のもと、当時のシリーズを戦い合った中嶋、高津両監督が今回どんな試合をやるのか。天国にいる仰木監督のためにも雪辱を晴らしたいオリックスだが、果たして…。
《ライタープロフィール》
岩崎正範(いわさき・まさのり)京都生まれ。1992年から2021年6月まで東京スポーツ新聞社に勤務。プロ野球の阪神タイガースを中心に読売ジャイアンツ、オリックスバファローズ、ニューヨークヤンキースなどを取材。現在はフリーライター。
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