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張本勲、清原和博ら他球団の大物打者を獲得してきた巨人の歴史前編

2021 9/4 06:00広尾晃
清原和博,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

1950年代は他球団に戦力を供給

日本ハムの主砲・中田翔が巨人に移籍した。いろいろな背景があるようだが、他球団の主力打者が巨人に移籍するのは、毎年のように耳にするニュースだ。「巨人に移籍した他球団の強打者」の歴史について振り返ろう。

巨人は1936年に日本のプロ野球が始まった時代から常勝球団だった。戦力は充実し、他球団を圧倒していた。そのこともあって、1950年代までの巨人は、ポジションが重なる選手などを他球団に移籍させることが多かった。

1946年には「じゃじゃ馬」と呼ばれた強打者・青田昇が阪急に移籍。青田は1948年に巨人に復帰したが1953年には洋松に再度移籍した。

名遊撃手・白石勝巳も1946年、パシフィックに移籍。1948年に巨人に復帰したのち1950年に新たに創立された広島に移籍した。同年、初代三冠王・中島治康と「塀際の魔術師」と言われた名外野手・平山菊二も大洋に移籍している。

こうした大物選手は移籍先の球団で戦力となっただけでなく、チームリーダー、指導者として球団の礎を築いた。かつての巨人は「他球団の戦力輩出球団」だったのだ。

須藤豊、柳田利夫が大毎から加入

一転して巨人が他球団から主力級の打者を獲得するようになったのは、1961年に川上哲治が巨人監督に就任してからだ。

1960年代に巨人に移籍した他球団の主力打者


川上監督は大学、高校から有望な選手を入団させるとともに、他球団から一芸に秀でた主力選手を獲得した。

内野守備の名手でつなぐ打撃もできた須藤豊、勝負強い打撃の柳田利夫の大毎オリオンズ勢がこれにあたる。こうした選手を絶えず競争させて戦力の充実を図っていたのだ。

王貞治、長嶋茂雄のONコンビが不動の中軸になると、そのあとの5番を打てる打者を他球団から獲得するようになった。西鉄の中軸を打った田中久寿男、広島初の首位打者、森永勝也、東映でベストナインに輝いた吉田勝豊らがそれだ。

また西鉄時代「キャップ」「切り込み隊長」と呼ばれた大型リードオフマンの高倉照幸も獲得した。しかし多くの選手は、巨人であまり実績を上げることができなかった。

川上監督は少し結果が出ないと遠慮なくスタメンから外した。当時の巨人コーチは「他球団の主力打者も、うちに来れば控え選手さ」と記者に話したものだ。

一方で、巨人の人気が全国的になると、他球団のベテランの中には巨人への移籍を希望する選手が多くなった。巨人と他球団では、年俸以上に待遇に大きな差があったのだ。

巨人V9時代の先乗りスコアラーだった小松俊広さんは、新幹線の車中で南海の野村克也監督に出会って挨拶をした。野村監督は普通車に座っていた。「お前どこに座ってんだ?」と聞かれたが、小松さんは球団支給のグリーン車に座っていたため、返答に困ったという。当時は、巨人と他球団ではそれくらいの待遇差があったのだ。

また「元巨人」という肩書がつくと、解説者やコーチなどの声がかかりやすくなる。この時代に、現役最終年に巨人に移籍し、引退後は巨人コーチを務めた選手には関根潤三や町田行彦がいる。

高橋一三、富田勝との交換トレードで張本勲を獲得

以後もキャリア晩年に巨人に移籍して「元巨人」の肩書を得る選手が散見される。

1970年代に巨人に移籍した他球団の主力打者


巨人は1965年から73年まで、空前のV9を記録。その立役者の一人、長嶋茂雄は1974年に引退し、翌年から監督となった。

しかし、就任1年目の1975年は最下位に転落。自身が引退して打線が弱体化したのだ。そこでパ・リーグ最強打者の一人だった張本勲をトレードで獲得。トレードの相手は左腕エース高橋一三と、長嶋の「後継三塁手候補」として南海から獲得した富田勝だった。

主力選手を放出してまで獲得した張本は王貞治と「OHコンビ」を組み、3年連続で3割をマーク。76、77年の巨人の連覇に貢献した。張本勲は巨人野手の大型トレードで最初の成功事例と言えよう。

1988年には阪急のスピードスター蓑田浩二、翌年には中日でMVPを取った捕手の中尾孝義を獲得したが目立った活躍はできなかった。

40歳・落合博満をFAで獲得

1993年、MLBに倣ってNPBでも「FA(フリーエージェント)制」が導入された。一定年数、一軍に登録された選手は、NPB機構内のどの球団とも契約交渉ができるという制度だ。

この制度は「巨人のためにある」と揶揄されたが、早速、大型の移籍が相次いだ。

1990年代に巨人に移籍した他球団の主力打者


FA制が導入されて最初に巨人に移籍したのは三冠王3度の大打者、落合博満だった。ロッテからトレードで中日に移籍して大活躍していた落合は、FAで巨人に移籍。すでに40歳だったが、3年とも規定打席に到達した。ただ本塁打は21本が最高、打点は3年とも100に届かず、やや物足りなかった印象は否めない。

翌年にはヤクルトの広沢克己、1997年には西武の清原和博と、NPBを代表する強打者が次々と移籍。それまでトレードで獲得した選手は1976年の張本勲を除いて、主力級で長く活躍することはなかった。しかしFA移籍した選手はいずれも中心打者として活躍。トレードとは比較にならない大きな補強となった。

ただ、FA制度での戦力補強は巨人、そしてNPB全体の年俸水準を押し上げた。また、巨人は選手層が厚くなり、ドラフト上位で獲得した有望新人がなかなかレギュラーになれないという弊害も生んだ。

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