パ・リーグ4球団で積み重ねた296犠打
細川亨は2001年ドラフトの自由獲得枠で西武に入団。2年目の2003年に頭角を現すと、翌年は4月にサイクル安打を達成。08年には自己最多の16本塁打を放つなどの活躍を見せ、いずれも初となるベストナインとゴールデングラブ賞を獲得した。
ソフトバンクに移籍した11年は、リーグトップの防御率を記録した強力投手陣をけん引。ダイエー時代の03年以来となる日本一に輝いたチームに貢献した。
キャリア晩年は豊富な経験を買われて楽天やロッテでプレーし、20年に引退を決意。パ・リーグ4球団を渡り歩いた捕手ひと筋の男が、19年間に及ぶ現役生活に別れを告げた。
細川のプレーを振り返ると、体を張ったブロッキングや巧みなキャッチング、そしてパンチ力を秘めた打撃に目を奪われがちだが、バントも得意としている。
リーグ最多の犠打を記録した05年は、29企図でバント失敗がわずかに2回。大柄な体格を誇りながら、小技を得意とするいぶし銀の選手でもあった。