近年では松坂大輔や岩瀬仁紀が受賞
プロ野球の開幕から1ヶ月ほどが経過した。まだまだ序盤戦ではあるが、見事に復活を遂げつつある選手の活躍が目立っている。その筆頭格が堂林翔太(広島)だろう。
堂林は2014年以来6年ぶりとなる開幕スタメンを掴むと、そこから打ちまくり首位打者争いを演じている。その堂林はプロ入り3年目となる2012年に全144試合に出場し、14本塁打を記録。チームの将来を担う存在として大きな期待を背負っていた。
しかし、その後は目立った成績を残すことができず、昨シーズンは一軍デビュー後、最少となる28試合の出場にとどまっていた。期待を背負いながらも結果を残すことができず、長くどん底を味わった堂林が復活を遂げようとしているのである。そんな堂林が受賞してもおかしくない表彰が1974年に制定されたカムバック賞だ。
カムバック賞は怪我や不振からの復活、文字通りグラウンドへカムバックした選手に贈られる表彰であり、近年では松坂大輔(中日/2018年)や岩瀬仁紀(中日/2017年)が受賞している。そんなカムバック賞の受賞者には、どのような選手が名を連ねているのか。振り返ってみたい。
谷沢健一や小久保裕紀ら後の名球会入りが7名
カムバック賞はもともと実績を残していることが前提としてあるため、受賞者には球史に名を残す選手も多い。昨シーズン終了までの受賞者41人のうち7人が名球会入りを果たしており、割合にすると17.1%となる。
1980年はセ・リーグが谷沢健一(中日)、パ・リーグが門田博光(南海)と後の名球会プレーヤーがそれぞれ受賞した。その翌年には、セ・リーグで藤田平(阪神)が受賞。結果的に受賞者から2年連続で名球会プレーヤーが誕生したことになる。
その後も村田兆治(ロッテ/1985年)、前田智徳(広島/2002年)、小久保裕紀(巨人/2004年)、岩瀬仁紀(中日/2017年)が同賞を受賞してきた。
名球会入りの基準(2000本安打、200勝、250セーブ)には届いていないものの、長年に渡ってチームを支えてきた選手の名も目立つ。杉浦亨(ヤクルト/1987年)や遠藤一彦(大洋/1990年)、吉村禎章(巨人/1990年)といった面々がそうだ。彼らは所属チーム一筋でプレーし、大きな怪我に苦しみながらも劇的な復活を遂げている。
怪我ではなく闘病からの復活で受賞したのが盛田幸妃(近鉄/2001年)だ。
盛田は1998年に脳腫瘍が発覚し、闘病生活に入る。翌1999年に1試合、2000年に3試合投げ、2001年には中継ぎとして34試合に登板。2勝0敗、防御率7.06と成績的には苦しんだが、大病からの復活ということもあり受賞の運びとなった。
ちなみにパ・リーグでは盛田以降、受賞者は出ていない。
鈴木健は不振からの脱却でベストナインと同時受賞
カムバック賞の受賞は大きな怪我や闘病からの復活が前提になっているわけではない。不振からの復活による受賞者も過去には存在する。鈴木健(ヤクルト/2003年)がそうだ。
鈴木は西武で1993年からレギュラーとして活躍していた内野手。1997年には最高出塁率のタイトルも獲得。リーグを代表する打者のひとりでもあった。しかし2002年に不振に陥り65試合の出場にとどまると、そのオフに戦力外通告を受けヤクルトへと移籍することになる。
その移籍先のヤクルトではレギュラーを獲得すると135試合に出場し、打率.317(482打数153安打)、20本塁打、95打点とキャリアハイに近い成績を挙げ復活。移籍1年目でカムバック賞とベストナインを同時受賞した。
その他では中尾孝義(中日/1989年)、有田修三(巨人/1988年)の捕手勢も大怪我からではなく、不振や出場機会の減少から復活を遂げたパターンだ。堂林の大先輩にあたり、現役引退後には監督も務めた三村敏之(広島/1979年)も不振からの脱却による受賞を果たしている。
このように同じカムバック賞であっても受賞の経緯は選手によって異なってくる。堂林はチームの大先輩である三村と同じように不振からの復活で受賞なるだろうか。今後もその活躍に注目が集まる。
《関連記事》
・11年目の広島・堂林翔太が絶好調 セ・リーグ新監督の下で活躍の場を見出した選手たち①
・浅村栄斗、柳田悠岐、山川穂高、中田翔が空前のハイレベル本塁打王争い
・巨人連覇のカギ握る坂本勇人、岡本和真、菅野智之の「大台」