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元祖二刀流ベーブ・ルースの偉大な功績を振り返る 野球そのものを変えた圧倒的な”本塁打”力

2022 2/24 11:00広尾晃
元MLB選手ベーブ・ルース,Ⓒゲッティイメージズ
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Ⓒゲッティイメージズ

野球の神様ベーブ・ルース

「野球の神様」と言われたベーブ・ルースは今から74年前に53歳で病没している。もはやルースの生の姿を見たことがある人は、かなりの高齢者になっている。昨年、大谷翔平がルース以来の「二刀流」として大活躍し、ア・リーグMVPを受賞したことから再びルースの存在がクローズアップされているが、実際どんな選手だったのだろうか。数字で改めて検証しよう。

本名ジョージ・ハーマン・ルース・ジュニアは1895年生まれ、左投げ左打ち。全寮制の孤児院時代に野球を覚え、1914年、マイナーリーグのボルチモア・オリオールズ(現在のMLB球団とは別)に入団。このチームで投手として好成績を上げてすぐにボストン・レッドソックスと契約。2年目の1915年には一線級となる。

レッドソックス時代のベーブ・ルースの投手成績を見てみよう。防御率順位はBaseball Referenceによる。

ベーブ・ルース、レッドソックス時代の投手成績,ⒸSPAIA


2年目にチーム3位の18勝を挙げたルースは、翌年にはチーム最多勝。そして防御率もアメリカン・リーグ1位に。与四球を見てもわかるように制球は良くなかったが、走者を出しても抑えることが多かった。またワールドシリーズは1916、18年に出場し、合わせて3試合で3勝0敗、31回を投げて自責点1、防御率0.87という抜群の成績を残す。

ルースの投手成績で目に付くのは被本塁打の少なさだ。1916年などは323.2回を投げながら被本塁打0、当時のMLBでは本塁打はめったに出なかった。それもあって四球をたくさん出してもそれほど失点が多くなかったのだ。ルースもその恩恵を受けていたが、その野球を一変させたのは、ほかならぬベーブ・ルース自身だった。

”本塁打を発見した”ルース

1918年からルースの投球回数が減ってくるが、これは打者としての出場が多くなったからだ。この年11本塁打で本塁打王となるとともに13勝を挙げている。1人の選手が二けた勝利と二けた本塁打を記録したのは、この年のルースだけ。昨年、大谷翔平が挑戦したが、惜しくも46本塁打、9勝に終わった。

1918年からルースは本塁打記録を次々更新していく。ここから14年間のルースの本塁打記録と、ルースの本塁打数がア・リーグ全体の本塁打数に占める比率を見ていこう。

ベーブ・ルース1918年から1931年の打撃成績,ⒸSPAIA


1918年の11本塁打は今の感覚では平凡な数字だが、ア・リーグ本塁打数の1割以上を占めていた。ルースは翌年29本塁打、これは1915年にフィリーズのクラバスが記録した24本塁打を抜くMLB新記録だったが、翌1920年、ヤンキースに移籍したルースはこれをほぼ倍増させる。

以後、故障などで戦線離脱した2シーズンを除いて14年で12回本塁打王を獲得するが、リーグ本塁打数に占めるルースの本塁打の割合は、1920年の14.6%が最高で、以後は10%を割り込むこともあった。

これはルースが本塁打を量産し始めてから、これに追随して本塁打を狙う打者が次々と登場してきたことを意味する。ルースと3、4番を打ったヤンキースの同僚ルー・ゲーリッグ(通算493本塁打)、「右のルース」と言われアスレチックスやレッドソックスなどで活躍したジミー・フォックス(534本塁打)などがそうだ。

また、当時、アメリカン・リーグとワールドシリーズ以外ではほとんど交流がなかったナショナル・リーグでも、カージナルスの大打者、ロジャーズ・ホーンズビーが1922年にリーグ新の42本塁打を記録。MLBの両リーグはそろって本塁打時代を迎えたのだ。

それまでのMLBで最高の打者と言われたタイ・カッブは、安打と走塁で得点を稼ぐ打者だった。当時、本塁打は「珍記録」とさえ言われ、今の三塁打と同じような扱いだった。ベーブ・ルースは球を高く遠くへ飛ばすことで、本塁打を量産し、野球そのものを変えてしまった。ルースに続く打者も本塁打を「意識して打つ」ようになったのだ。“ベーブ・ルースは本塁打を発見した” とさえ言われる所以だ。

本塁打比率では他を圧倒

ルースの通算本塁打数は現在では3位だが、活躍した時期のリーグ総本塁打数との比率で見れば、異次元の存在であることがわかる。MLB通算本塁打数5傑のこの記録を見てみよう。参考までに王貞治の同じ数字も紹介する。

なお、リーグの球団数はシーズンによって異なる。ルースの時代のア・リーグは8球団、ボンズの時代のナ・リーグは12~14球団だ。球団数が多いリーグの総本塁打数は多くなるので、そのリーグに所属する個人の本塁打数が占める割合は当然ながら小さくなる。そこでリーグ球団数を10球団と想定した場合の補正値を出した。

本塁打通算5傑の同時代の総本塁打数に占める比率,ⒸSPAIA


ベーブ・ルースの数字がずば抜けていることがわかる。ハンク・アーロンがこれに続くが、倍以上の開きがある。バリー・ボンズはさらに低い。王貞治がルースの数字にかろうじて迫っている。日本プロ野球において王貞治の占める位置づけ、重みがルースに近いものであることを物語る数字だろう。

1919年にワールドシリーズをめぐる八百長事件である「ブラックソックス事件」が発生し、MLBは信用を失墜し、大きな危機に瀕していた。ベーブ・ルースはその暗雲を吹き飛ばすように本塁打を量産し、MLBをも救ったと言われている。

ベーブ・ルースの偉大さは本塁打をたくさん打ったことでも、二刀流で活躍したことでもなく「野球そのものを変えた」ことだと言ってよいだろう。大谷翔平も、投打ですごい数字を記録したことよりも、投手、打者の分業が進む中で、その垣根を破ったことが偉大だと言える。その点で大谷も「野球そのものを変えた」存在になる可能性があるだろう。

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