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かみじょうたけしと愉快な元球児たち【夏の甲子園 直前座談会】② 「プロ野球選手になれなかったら死ぬんや」 

2018 8/3 12:33SPAIA編集部
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アメトーークなどでお馴染みの高校野球芸人かみじょうたけしさん、岡山・関西(かんぜい)高校時代、春夏合わせて4回甲子園に出場した、元北海道日本ハムファイターズのダース・ローマシュ匡さん、平安高校(現龍谷大平安高校)野球部で甲子園に出場した株式会社New Wing代表取締役の背尾匡徳さん、リトルリーグから高校まで球児として過ごし、ダースさんと親交の深い株式会社グラッドキューブ代表取締役CEOの金島弘樹の、高校野球大好き4人組がざっくばらんに高校野球の思い出・見どころを語る座談会。全4回でお届けします。



《対談シリーズ》
かみじょうたけしと愉快な元球児たち【夏の甲子園 直前座談会】① 「ケンカした後、入学式に現れた不良」

高校野球は99%つらいことしかない

背尾匡徳(以下、背尾)ちなみに、僕も金島さんも同じく高校野球をやってたんですけど、ダース君は今までの人生の中で、高校野球やっててよかったな、と思う瞬間ってありました?

ダース・ローマシュ匡(以下、ダース)高校野球やってる時は、99%つらいことしかなかったですね。勝たなあかんというプレッシャーがすごい。勝って当然だし、中国地方でも負けられへんし、岡山ではもちろん負けられない。

勝ったらうれしいけど一番うれしかったのは高校の3年間が終わったときでしたね。それまで何度も辞めたいと思って泣きながら親に電話したこともあったし、とにかく終わってホッとしましたね。

金島弘樹(以下、金島)その後プロ野球にも行ったけど、人生においてその経験は何かに活きている?

ダース:嫌なことも多いんですけど、結局は野球しかないんです。他に何もないからそこにいる。そのときは野球しか考えられなかった。プロ目指している人はみんなそうだと思うんですけど、俺プロ駄目だったら◯◯になろうなんて思って野球やってないんですよ。

でもそうやって頑張ってきた人たちが、報われないというのがスポーツ界にはあるじゃないですか。野球は人口がまだ多いから、引退後も繋がりがありますが、マイナー競技はもっと大変だなと思います。高校生と違って、大人になると生活するために(お金が)必要になってくるじゃないですか。例えば俺こんなに高く跳べるけどお金にならない、とか。めっちゃ高く跳んで世界一とかになったらそりゃお金になるだろうけど、そうじゃなければ頑張っても結果的に大人になると意味がないこともある。子供のころはそんなこと考えずにひたすらやってますけどね。

そういえば、僕は小学校のときにプロ野球選手になれなかったら死ぬんやと思って泣いたことがあります。その時から、絶対プロ野球選手になろうと思って、めっちゃ頑張りましたね。

ダース・ローマシュ匡,高校野球,座談会

プロ野球を辞めたときは焦りました

金島:ドラフト会議は緊張したの?

ダース:いや、そのときかからなくても絶対プロになれるとは思ってました。たぶん、声かからんなって言われてましたし。

かみじょうたけし(以下、かみじょう)どっち行こうと思ってたの?大学か社会人か。

ダース:僕は大学ですね。プロ野球選手という夢を叶えられるのは25歳までと思ってたので、4年かかっても大丈夫だと思ってました。大学出ても22なんで、そこから社会人2年やってもと思ってましたね。それでアカンかったら死ぬんやと。笑

一同:

かみじょう:社会人やったらまあ引退してもその先があるからね。しかも社会人野球やってる企業は一流企業だからね。

ダース:でも今は社会人もシビアで普通に切られるんですよ、野球選手として採ってるから。引退したら営業マンとか他のこともできずに終わることもあるようです。

かみじょう:エースを何年も務めたとか一流の成績残してたら、コーチとか監督クラスの幹部で残れるのかもしれないけど、一選手としてたまに出てたくらいやったら、そんなんなるんですね。

ダース:ある程度、一般で入社した社員との軋轢もあるでしょうしね。社会人野球も活躍がその企業への貢献になりますから、例えばJR九州の名前がでるだけでも貢献ですし。

金島:宣伝効果とか抜群やしね。

ダース:そうですね。でもずっと怪我していたら何にもならない。

背尾正則,高校野球,座談会

背尾:社会人はアマチュア野球の頂点ですが、プロ野球との大きな違いは仕事があるということ。野球だけではないので、仕事と野球の両立をしなければいけない。ただ、どちらかと言うと仕事より練習がメインになりますよね?今は多少時代も変わっているので違うかもしれないですが、僕らの仲間の時代は、午前中働いて、昼から野球という生活をしていた。だから企業的には野球部そこまで大事な部署に配属はできないし、その状況で仕事を覚えるのも厳しいですよね。

ダース君もプロ行って早めに夢絶たれたから、逆にいったら今こうしてしっかり独り立ちできたわけですよね。そういう環境で長いことやっちゃうと、例えば35歳になって野球が終わって、また社会人を一からとなると苦労する。
野球は年功序列で先輩が偉いっていうのがあるけど、社会人は年齢はあまり関係ないじゃないですか。

ダース:確かに「この歳まで野球やった」というプライドが出てきたりするケースはありますね。周りはなんにも思ってないんですよ。本人がひとりだけ固執してしまってるだけで。
野球やってたときはそれなりに評価されるんですけど、辞めたときになんにも残ってない。僕自身も辞めたときは焦りました。

「人間」を教えてくれた平安高校の原田監督

金島:ダースでもそう思うってことは清原和博さんとか超一流と呼ばれた人たちはその反動がもっと大きかったんですかね。タレントになりましたけど。

ダース:僕の場合は早かったから次の世界に入りやすかったですけど、大金稼いだ経験をしてしまってからだと、感覚が全然違うと思います。そこまでいった人が、じゃあ金ないからって20万円の月給で働けるわけがない。

背尾:きっと金銭感覚的には20万円が僕らの20円くらいですもんね。笑

金島:どうやって生活すんのみたいな。笑

金島:さっきの話に戻りますけど、じゃあ背尾さんは高校野球やっててよかったことってなんですか?

背尾:僕は精神的に強くなったのが一番ですかね。正直、練習も死ぬほどしんどいし、監督もコーチも怖いし、先輩はもっと怖いし、色んな状況を耐えてきたので、怖いものはないです(笑)あの高校3年間より辛いことは37歳になった今まで経験してない。なにかあったときは、あれを乗り越えたからこんなん楽勝やなって思えます。

それに平安高校は、野球を教えるというよりかは、人としてという部分を凄く教えてくれたんですよ。挨拶の仕方や人との付き合い方、礼儀など体に染み付いているものはありますね。それがやっぱり社会人になってすごい活きましたし、平安高校出身ですと言うだけで凄く評価してもらえました。

あとは監督の原田さんが凄く熱心で、あれやれ、これやれと言うよりかは自分で考えさせるんですよ。なんでそうなるか自分で考えろ、と。なんでかって言うと、多くの選手が高校で野球をやった後に、野球を続けるために大学に進学するじゃないですか?プロや社会人野球に行けない人間も多いですし。
ただ、大学という所は、1から10まで教えてくれないぞってめっちゃ言うんですよ。練習しろとも言われないし、どれだけ自分ができるかが勝負。自分がやらないとすぐに干されるし、レギュラーにもなれない。だから高校時代から自分で考えるようにしろと延々と言われてました。それが凄くいい習慣になったのも事実ですね。

社会人になってからもビジネスでは知らないことばかりじゃないですか。人に聞いたら簡単でしょうけど、まず自分で色々と考えてみる。いまはインターネットがあって便利だけど、聞く前に考えてみるというスタンスは本当に身につきましたし、そのプロセスが財産になるんだなと。

ねえ、原田監督。

かみじょうたけし,ダース・ローマシュ匡,高校野球,座談会

かみじょう:(原田監督のモノマネ)ま、日頃から背尾がね。平安魂をしっかりと受け継いで、このぉ〜社会人としてね。ほんっとに、ほんっとにありがとうございます。

背尾:振りがここしかなくてすみません。しかし似てるわ〜。ちなみにこれ、最後の平安のときのモノマネですよね。笑

かみじょう:そうそう。平安高校から龍谷大付属平安に名前がかわるときに、ユニフォームを愛している監督が最後のユニフォームを配るときの感じです。

ダース:わかるわかる!めっちゃ似てる!笑

〜 第3弾「甲子園での挫折を経験したかった」に続く