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かみじょうたけしと愉快な元球児たち【夏の甲子園 直前座談会】① 「ケンカした後、入学式に現れた不良」

2018 8/2 18:31SPAIA編集部
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アメトーークなどでお馴染みの高校野球芸人かみじょうたけしさん、岡山・関西(かんぜい)高校時代、春夏合わせて4回甲子園に出場した、元北海道日本ハムファイターズのダース・ローマシュ匡さん、平安高校(現龍谷大平安高校)野球部で甲子園に出場した株式会社New Wing代表取締役の背尾匡徳さん、リトルリーグから高校まで球児として過ごし、ダースさんと親交の深い株式会社グラッドキューブ代表取締役CEOの金島弘樹の、高校野球大好き4人組がざっくばらんに高校野球の思い出・見どころを語る座談会。全4回でお届けします。

入学式で「もう終わった」と思った

金島弘樹(以下、金島)かみじょうさんはダースが高校3年生のとき、2回甲子園出ているのもよくご存じだと思うんですけど、観に行ってました?

かみじょうたけし(以下、かみじょう)もちろん観に行ってますね。アルプススタンドにいました。

ダース・ローマシュ匡(以下、ダース)そうなんですね!ちなみにどちら側にいらっしゃったんですか?

かみじょう:関西高校側です。

ダース:関西側とか嫌じゃないですか!タチ悪くなかったですか。笑

かみじょう:いやいや。笑 春に早稲田実業とやって引き分け再試合で負けたときに、ライトの熊代さんが後ろ逸らして、ランナーが帰って負けたじゃないですか。泣き崩れてるの見てたんで絶対夏帰ってきてくれよ、と思ってたんです。
ほいで実際夏帰ってきたじゃないですか。これ観に行かなあかんと思ってアルプススタンドに観に行ったときにびっくりしたんですけど、「俺たち熊代組?一家?」って書かれたTシャツを着た軍団がおったんですよ。 たぶん親戚の人とか友達とかが作ったんやと思うんですけど、このTシャツ欲しいな思いながら。笑

背尾匡徳(以下、背尾)ははは!もう熊代ファンになってしまったわけですか。

かみじょう:ファンっちゃファンですけどね。笑 関西ベンチは最後一塁側でしたっけ。

ダース:最後の夏は一塁側でした。春も一塁側でした。

かみじょう:熊代がライトを守ってるのが見えて、頑張れよと思って応援してたんです。で、確か熊代がホームラン打ったんですよ。そしたら、Tシャツの軍団がわぁーって暴れだしてそりゃもう凄かった。

ダース:熊代はもともと中学生のころ不良だったんです。熊代が入学式のときにケンカしてから現れてあのヤバイ奴が野球部ではありませんように……と思ってたんですよ。まあ野球部は来ないだろうと思ったら野球部やって分かって。あんなおっかない奴と一緒だなんて、僕は終わったと思いました。笑
でも野球やってると自然と仲良くできるから不思議ですね。

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再試合が終わった瞬間に雪が降った

かみじょう:その悪かった熊代選手が春に、わんわん泣いてねぇ。

ダース:あれはもうみんな、衝撃でした。あのおっかないヤツががそこまで泣くかって。

かみじょう:すごい泣いてるからいろんな選手が慰めて。ダースさんもそうでしたよね。「大丈夫や!いける!」みたいな。抱えて慰めてましたね。

ダース:そうですね。あれは8回に下田が逆転2ランホームラン打って、3-2になったんです。そのあと熊代がトンネルして逆転されて4-3になりました。

かみじょう:で、9回の裏で熊代に打席回ってきたけどボール見えないくらい泣いてて。で、凡退してさらに泣いて。

ダース:そうです、そうです。「もうそこ代打やろ!」ってくらい涙で全然見えてない。そのくらい泣いてましたね。
その試合、終わった後がまた劇的だったんですよ。前日の試合が7-7の延長15回で、その日が再試合だったんですけど、逆転で終わった瞬間に雪降ってきたんですよ。

かみじょう:そうそうそう!

ダース:それがすごい印象的でしたね。

かみじょう:空が真っ暗で雪降ってきたね。
再試合になった1試合目も負けてて追いついたんですよね。それも満塁で安井さんがダーン!打って、ランナー帰ってきて同点になって、満塁になったんですよね。さらにそれがノーアウトか1アウトだったから。

ダース:そうです。7-7になって、斎藤佑樹が敬遠しよったんですよ。ノーアウト満塁になって、9回裏で満塁なので絶対勝ったと思った。そしたら、ピッチャーゴロのホームゲッツー、三振で。もう一瞬で終わりましたね。笑

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どうして奈良から岡山の高校に?

背尾:ダース君はそもそも奈良出身じゃないですか、中学生のときも有名だったんですか?

ダース:有名ではないですが声はかかってました。

背尾:なんで関西(高校)に行ったんですか?

ダース:僕、もともとはPL学園に行きたかったんですよ。中学1年の途中からずっとPL、PL言ってました。
僕は父親が外国人だし、裕福ではなかったけど「PL行きたいならがんばれよ」と言ってくれていた。でも中学3年生の時、学校の先生に「PLに前田健太(現ドジャース)って奴が行くから、おまえは絶対エース無理やわ」と言われた。僕もめちゃめちゃすごくはなかったけど投げたら勝つ、という自信は当時ありました。

でも前田は投げてもすごい、バッティングもやばい。3球あったらツーワンみたいな完成されている投手やと。そんなピッチャーがおるんだと驚きました。

結局費用の問題もあって、一番学費が安い関西に行ったんです。少ない負担で済む制度があって、学年で2人だけしか選抜されないんです。その時は、僕と体操部の子が選ばれたのですが、すごくありがたかったですね。

金島:もしPLに行っていたらマエケンと一緒になっていたわけだけど、もしエースじゃなかったら大学野球も考えていた?

ダース:僕は高校でプロ志望届出して行けなかったら、近大(近畿大学)か関西高校とつながりがあったJFE西日本を志望していました。社会人やったら3年でプロ行けるからと思って。近大は家からすごく近くて、榎本監督(当時)と仲良くて、「大学行くんやったらうちに来いよ」と言ってくれていたんですけど、結局はドラフトにかかったので(日本ハムに高校生ドラフト4巡目指名)。

金島:あの時は高校生ドラフト?

ダース:そうです。僕らのときはもう高校生ドラフトが分かれていました。

〜 第2弾「プロ野球選手になれなかったら死ぬんや」に続く