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甲子園でノーヒットノーランを達成した名投手たち

2017 8/25 10:07Mimu
高校野球
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伝説となった夏の決勝でのノーヒットノーラン

高校野球でノーヒットノーランといえば、やはり松坂大輔を思い浮かべる方も多いのではないだろうか。横浜高校3年生だった1998年の夏の甲子園決勝、京都成章を相手にノーヒットノーランを達成し、見事に優勝を果たした。

この年の横浜は春の選抜でも優勝した上に、夏の準々決勝・PL学園戦では延長17回3時間37分の死闘、続く明徳義塾戦でも逆転サヨナラの熱戦を演じており、最高の形での春夏連覇となった。

また同じ年には、鹿児島実のエースだった杉内俊哉も、ノーヒットノーランを達成している。1回戦の八戸工大一戦で16奪三振の見事なピッチングだった。続く2回戦で横浜に敗れたが、インパクトは非常に強かった。

後に杉内は、2012年にも交流戦の楽天戦でノーヒットノーランを達成しており、甲子園とプロと両方で記録を達成した唯一の投手となった。

最も近い記録は2004年、史上初の記録は1916年

春夏を通じて1番近いノーヒットノーランの達成は、2004年のダルビッシュ有である。

東北高校3年生だった春の選抜1回戦、熊本工を相手に12奪三振の完璧なピッチングを見せた。最後の打者を打ち取ったときの笑顔が印象的だった。続く大阪桐蔭戦では直前に右肩を痛めたこともあり、6回からは真壁賢守さんへと交代。この試合は辛くも3-2で勝利したが、3回戦の済美戦では登板することができず、敗退してしまった。

反対に最も古いノーヒットノーランの記録は、1916年の松本終吉だ。

まだ旧制中学だった時代、市岡中(現大阪府立市岡高校)のエースとして出場した大会で、準決勝の一関中(現岩手県立一関第一高校)戦で達成された。この試合では松本のストレートが冴えにさえ、8奪三振の見事なピッチング。打線も後に野球殿堂入りを果たす田中勝雄が4安打、さらに打者としても4番を務める松本さんもタイムリーを放ち、8得点を挙げて快勝した。

市岡中の次の相手は鳥取中(現鳥取県立鳥取西高校)。1回戦で和歌山中(現和歌山県立桐蔭高校)に敗退したにもかかわらず、この1916年と翌年の大会のみに採用された「敗者復活制度」で戻ってきた学校だ。

この年の大会は敗者復活の他にも、初の外国人学生選手が出場したりと、様々なことがあった。ちなみに試合は延長10回の熱戦が繰り広げられ、5-4で市岡中が勝利している。

1920~30年代にはさまざまな名投手が記録を達成

その後は10年ほどノーヒットノーランの記録が出ていない時期が続いたが、1927年に広陵中(現広陵高校)の八十川胖(ゆたか)が史上2人目のノーヒットノーランを達成すると、それから30年代にかけて、たくさんの好投手たちが次々に達成していく。

1928年夏:伊藤次郎 京都 平安中(現龍谷大平安高校)
1931年春:灰山元治 広島 広島商業
1932年夏:楠本保 兵庫 明石中(現兵庫県立明石高校)
1932年夏:水沢清 長野 長野商業
1932年夏:岡本敏夫 熊本 熊本工業
1933年春:河合信雄 愛知 一宮中(現愛知県立一宮高校)
1933年春:森田俊男 和歌山 海草中(現和歌山県立向陽高校)
1933年夏:吉田正男 愛知 中京商(現中京大中京高校)
1934年夏:長谷川治 和歌山 海南中(現和歌山県立海南高校)
1936年夏:小林悟楼 和歌山 和歌山商
1938年春:野口二郎 愛知 中京商
1938年夏:浦野隆夫 大分 大分商業
1939年夏:嶋清一 和歌山 海草中 ※準決勝で達成
1939年夏:嶋清一 和歌山 海草中 ※決勝で達成

30年代だけでも多くの投手が達成しており、後に野球殿堂入りを果たした人も見受けられる。

野球殿堂入りを果たした名投手たち

中でも、中京商業の吉田正男は、史上初の夏の甲子園3連覇を達成した投手だ。春夏連覇や、夏の大会2連覇は複数校が達成しているが、3連覇となるといまだ中京商しか達成していない。ノーヒットノーランは、その3連覇がかかった1933年夏大会の初戦で達成された。

抜群のコントロールを誇り、特にアウトローへのストレートは打者が全く手が出ないほどだった。その後は社会人野球でも活躍し、アマチュア野球の発展に貢献。1922年に野球殿堂入りしている。

また同じ中京商業の野口二郎も、野球殿堂入りを果たしている。後に法政大学から東京セネターズに入団し、1942年にはシーズン40勝、通算237勝を挙げた大投手。ノーヒットノーランを達成した1938年春の大会では、大会4試合をすべて完封し、記録は準決勝の和歌山代表・海草中戦で達成された。

吉田と同じくコントロールが抜群であり、プロ入り後も無四球試合を57度記録。1948年の無四球試合13というのは、いまだシーズン記録として残っている。

また嶋清一が1939年夏の大会で達成した、準決勝と決勝の2試合連続ノーヒットノーランも外せないだろう。2試合連続での達成は、後にも先にも嶋以外にいない唯一の記録だ。前年は野口にノーヒットノーランの屈辱を味わった海草中だったが、翌年には最高の形で優勝を果たした。

嶋は剛速球とキレのあるドロップボールが武器のサウスポーで、特にドロップはまるで垂直方向に落ちていたと打者が錯覚するほどだった。その後は明治大学に進学したが、1945年に戦死した。2008年に野球殿堂特別表彰を受けている。

世界のホームラン王が高校時代に達成したノーヒットノーラン

1940年代もしばらくは記録が出ていなかったが、50年代になると再び名投手たちが続々と達成していく。

1951年春:野武貞次 兵庫県立鳴尾高校
1951年夏:服部茂次 埼玉県立熊谷高校
1955年春:今泉喜一郎 群馬県立桐生高校
1957年夏:清沢忠彦 岐阜県立岐阜商業高校
1957年夏:王貞治 早稲田実業学校
1958年夏:森光正吉 高知市立高知商業高校

やはり王貞治の名前が目立つ。「世界の本塁打王」として知られるが、当時は左の本格派投手で、1957年に早稲田実業の2年生エースとして春の選抜で優勝。夏の甲子園2回戦の大阪府立寝屋川高校戦でノーヒットノーランを達成した。力のあるストレートに、時折見せるカーブで、相手打線を翻弄した。

しかも、この試合は延長11回を1-0。延長でのノーヒットノーランはいまだこの試合以外では達成されていない。それだけ、相手投手の島崎武久も好投手だったのだろう。寝屋川高校と早稲田実業はこの年の春の選抜でも対戦しており、この時も早稲田実業に敗れたものの1点に抑えていた。ちなみに打者としての王は、2試合で合計7打数無安打に終わっている。

金属バット導入後は達成数が激減

その後、1960年代に2人、70年代に3人、80年代に3人、90年代に4人が達成している。昔ほど記録が達成されないのは、1974年春から金属バットが導入された影響もあるだろう。これ以降、池田高校のやまびこ打線が象徴するように、打高投低の時代が続いているからだ。

1967年春:野上俊夫 和歌山市立和歌山商業高校
1969年夏:降旗英行 松商学園高校
1973年夏:有田二三男 北陽高校
1976年春:戸田秀明 茨城県立鉾田第一高校
1978年春:松本稔 群馬県立前橋高校 ※完全試合
1981年夏:工藤公康 名古屋電気高校(現愛工大名電高校)
1982年夏:新谷博 佐賀商業高校
1987年夏:芝草宇宙 帝京高校
1991年春:和田友貴彦 大阪桐蔭高校
1994年春:中野真博 金沢高校 ※完全試合
1998年夏:杉内俊哉 鹿児島実業高校
1998年夏:松坂大輔 横浜高校
2004年春:ダルビッシュ有 東北高校

21世紀に入ってからは、ダルビッシュ1人しか達成していない。2009年春の選抜では、PL学園の中野隆之が9回まで無安打ピッチングを披露していたが、打線の援護に恵まれず、延長10回表にヒットを許してしまい2失点。そのまま1-2で敗戦となった。

ノーヒットノーランは非常に難しい記録だが、それだけ貴重な記録であり、記憶にも残るものなのだ。今後、どんな名投手たちが達成してくれるのだろうか。

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