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大阪桐蔭野球部の歴史と輩出したプロ野球選手たち

2017 7/10 10:25フェデ
野球
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Photo by mTaira/Shutterstock.com

全国屈指の強豪校となり、プロ野球選手を数多く輩出する大阪桐蔭高校野球部。 その歴史や繰り広げてきた名勝負などを紹介する。

大阪桐蔭野球部の歴史とは

2度の春夏連覇など何度も甲子園を沸かせてきた全国屈指の強豪であり、数々のプロ野球選手を輩出している大阪桐蔭。大阪のみならず、全国から有数の選手が集まってくる名門だ。

大阪府大東市にある私立校で、野球はもちろん、その他のスポーツも全国レベルで活躍している。甲子園出場は春夏ともに10回(2019年現在)、そのうち8回は優勝を飾っている。決勝まで勝ち進めば負けなしだ。

沖縄水産との死闘を制し初出場初優勝

1991年夏の甲子園決勝。相手の沖縄水産は、前年から2年連続で決勝に進出して悲願の初優勝を狙っていた。当時まだ創部4年目だった大阪桐蔭は、この年が甲子園初出場だったが、帝京や星陵などの強豪を破っての決勝進出だった。

試合は初回から動く。大阪桐蔭が1回裏に2点を先制するも、2回には沖縄水産が1点を返し、さらに3回には5点を奪って逆転、4回を終わって7-4でリードを奪う。しかし、5回の大阪桐蔭の攻撃はすさまじいものだった。満塁から走者一掃の二塁打を放つなど打線に火が付き、大量6得点で一気に逆転したのだ。

結果は13-8で大阪桐蔭の勝利。激しい打撃戦の末、沖縄勢初優勝を阻み、頂点に立った。

2012年春、浦和学院との名勝負

2012年の春の甲子園。順々決勝まで勝ち進んだ大阪桐蔭の対戦相手は浦和学院だった。優勝候補の一角だった大阪桐蔭は、エース藤浪晋太郎投手を温存し、澤田投手がマウンドに立った。決勝までを考えるとエースを休ませたいという思惑があったのだろうが、逆に奮い立ったのが浦和学院ナインだった。

初回に浦和学院が得点し、中盤まで優位に試合を進める。浦和学院はリードを守るため、6回からエースの佐藤投手をマウンドに上げる継投に出る。結果的には、7回に大阪桐蔭が同点に追いつき、8回に浦和学院が再度突き放すも、大阪桐蔭が最終回の9回に2点を奪って逆転し、3-2で勝利をもぎ取った。

苦戦をものにした大阪桐蔭は決勝で光星学院を破って優勝。夏の決勝も同一カードを制して春夏連覇を果たした。

大阪桐蔭出身・中村剛也選手

大阪府大東市出身の中村選手は、2001年のドラフト2巡目で埼玉西武ライオンズに入団。大阪桐蔭時代は4番を任され、高校通算83本のホームランを放った強打者だった。

「おかわり君」というニックネームで親しまれており、彼の放つホームランはきれいな弧を描いてスタンドに吸い込まれていく。まさにホームランアーチストだ。

2008年には46本のホームランを放ち、タイトルを獲得。翌2009年にも連続してタイトル獲得するなど、計6回もホームラン王に輝いている。

大阪桐蔭出身・中田翔選手

広島市出身の中田翔選手は、高校時代に「平成の怪物」と呼ばれるほどの飛距離を放つスラッガーだった。高校通算87本の本塁打を放ち、何度もチームを勝利に導いた。

2007年のドラフトで「高校ビッグ3」と呼ばれていた唐川侑己投手、佐藤由規投手とともに注目の的に。4球団から指名を受け、北海道日本ハムファイターズに入団した。

2011年から実績を残しはじめ、2012年シーズンから栗山監督のもとで4番を任されるなど、チームの主軸として活躍を続けている。

2018年ドラフトで一気に4人プロ入り

他にも2019年のパ・リーグ首位打者に輝いた森友哉選手(西武)や西武から楽天にFA移籍した浅村栄斗選手ら数多くの大阪桐蔭OBがプロの世界でも主力として活躍している。

史上初となる2度目の春夏連覇を果たした2018年のドラフトでは、根尾昂選手(中日1位)、藤原恭大選手(ロッテ1位)、柿木蓮投手(日本ハム5位)、横川凱投手(巨人4位)の4人が同時に指名された。大阪桐蔭の「最強伝説」はプロ、アマの垣根を越えて轟いている。