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甲子園の常連、智辯和歌山高校出身のプロ野球選手たち

2017 3/22 18:28ryo_o
野球
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Photo by mTaira/Shutterstock.com

智辯和歌山高校は、春の選抜大会には13回の出場、うち1回(1994年)は優勝、3回は準優勝に輝いている。また、夏の甲子園についても出場24回、そのうち優勝2回(1997年、2000年)、準優勝1回という輝かしい戦績(2019年現在)を残している名門だ。同校はプロ野球選手も数多く輩出している。

智辯和歌山出身の選手は大成しない

昔は、智辯和歌山出身の選手は大成しない、と揶揄されていた。 選抜大会も夏の甲子園にも豊富な出場経験を誇り、優勝、準優勝を何度も果たしているため、プロ野球にも多くの選手が入団している。しかし、不思議なことにプロの世界ではなかなか結果を残せなかった。

そんな中、近年そのジンクスを破る選手が登場している。代表的な選手が、岡田俊哉投手(中日)と、西川遥輝選手(日本ハム)だ。

「高嶋監督の秘蔵っ子」岡田俊哉投手の高校時代

岡田投手は智辯和歌山在籍時から周囲の期待を集め、高校1年生の時には1年生で唯一のベンチ入りを果たしている。1年夏、2年春夏と3季連続で甲子園に出場、3年夏と合わせ計4度も聖地の土を踏んだ。

2年生の夏には3回戦まで自責点0の好投をし、ベスト8進出に貢献。3年夏は32回1/3イニング無失点、44奪三振という見事な内容で甲子園に出場し、投手の複数制を採用する高嶋監督が岡田投手に関しては絶対的エースとして起用したため、「高嶋監督の秘蔵っ子」と称された。甲子園では2年春夏のベスト8が最高成績だった。

WBC日本代表に選出

2009年のドラフトで岡田投手は、菊池雄星投手の外れ1位で中日ドラゴンズから指名される。当初から先発として期待されていたが、中々安定した成績を残せずプロ入り後3年間は一軍での登板はなかった。 しかし、2013年からはリリーフとしての適性を発揮し、徐々に安定した成績を残すようになる。

2015年は、50試合の登板で防御率1点台と抜群の安定感を発揮。2016年も勝ちパターンの一角として起用され、体調不良の菅野投手に代わって侍ジャパンの一人に選出されると、2017年のWBCに出場した。

北の韋駄天、西川遥輝選手

日本ハムファイターズで活躍する西川選手は、智辯和歌山高校時代、1年生の時からショートのレギュラーに抜擢され、甲子園でも活躍した。

2010年のドラフト2位で日本ハムに入団してからは、翌年にファーム日本選手権で優秀選手に選ばれるなど、順調に成長。 二塁手として活躍していたがチーム事情から外野も守るようになり、2014年には盗塁王、2016年にはベストナインと日本シリーズの優秀選手賞に輝いている。 また2016年には、シーズンを通じて併殺打なし、という記録も樹立している。今後さらなる飛躍が期待される選手だ。

名将・高嶋仁監督

智辯和歌山高校硬式野球部の歴史を語る上で、絶対に外せないのは、名将・高嶋仁監督だ。 1980年に智辯和歌山高校の監督に就任。前任の智辯学園時代を含め、史上最多の甲子園通算68勝を誇る。智辯和歌山野球部の生き証人といえるだろう。

高嶋監督のモットーは「常に全力を出し切る」。県大会では試合中ベンチに座っていることが多いが、甲子園に出場した場合には、ベンチ前で腕を組んで仁王立ちし、表情をあまり変えない。その姿がテレビに映し出される。

野村克也氏にも絶賛される継投の判断力を持ち、ユーティリティプレーヤーを多く輩出したのも特徴だ。高嶋監督の存在なしに、智辯和歌山の歴史はなかったと言っても過言ではないだろう。

高嶋監督が勇退した現在は、1997年に全国制覇した時の主将で、プロでも活躍した中谷仁監督が指揮を執っている。智辯和歌山野球部としての「第2章」を、これから紡いでいくことになる。

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