「春の報徳、夏の東洋」
第107回全国高校野球選手権大会で兵庫代表の東洋大姫路が8日の1回戦で済美(愛媛)を5-3で下し、2回戦進出を決めた。次は花巻東(岩手)と対戦する。
14年ぶりに夏の甲子園での勝利を挙げ、「夏の東洋」復活と話題になっている。そもそも「夏の東洋」と呼ばれるのはなぜなのか。
兵庫県では「春の報徳、夏の東洋」という格言がある。文字通り、兵庫の高校球界を引っ張ってきた報徳学園が春に強く、東洋大姫路は夏に強いことがその由来。近年は神戸国際大付や明石商、社なども強く必ずしも「2強」とは言えないが、過去の両校の戦歴を振り返ると格言の通りなのだ。
東洋大姫路の甲子園通算成績
まず東洋大姫路から見ていこう。今大会1回戦終了時点の甲子園通算成績は下の通りとなっている。

出場回数はセンバツの9回に対し、選手権は今回で13回目と夏の方が多い。甲子園での勝敗もセンバツは14勝9敗1分けで勝率.609だが、選手権は21勝11敗で勝率.656と夏の方が高くなっている。
東洋大姫路の名を全国に轟かせたのが1977年の第59回選手権だ。5回目の出場だった東洋大姫路はエース松本正志を中心に千葉商(千葉)、浜田(島根)、豊見城(沖縄)、今治西(愛媛)を破って決勝進出。相手は「バンビ」と呼ばれた1年生右腕・坂本佳一を擁する東邦(愛知)だった。
決勝は東邦が2回に先制したが、東洋大姫路は4回に追いつき、1-1のまま延長に突入。10回裏、4番・安井浩二がサヨナラ3ランを放って劇的なフィナーレとなった。甲子園決勝でのサヨナラ弾は史上初の快挙。松本は同年ドラフト1位で阪急に入団した。
その後も1982年にベスト4、1986年にベスト8、2006年にベスト8、2011年にベスト8など夏に躍動。センバツでも2003年にグエン・トラン・フォク・アンを擁してベスト4、2008年に東浜巨を擁する沖縄尚学(沖縄)に敗れたものの4強入りするなど実績を残している。
2022年から履正社(大阪)を全国の頂点に導いた岡田龍生監督が就任。母校の監督として指揮を執っており、名門がさらに輝きを増していきそうだ。
報徳学園の甲子園通算成績
続いて報徳学園を見てみよう。甲子園通算成績は下の通りとなっている。

センバツは23回出場して40勝21敗の勝率.656。一方で選手権は16回出場して28勝15敗の勝率.651となっており、春の方が成績が良い。
センバツでは2度優勝しており、初優勝は1974年の第46回大会。部員11人で「さわやかイレブン」と呼ばれた池田(徳島)を決勝で下し、初の頂点に立った。
2回目は2002年の第74回大会。後にロッテ入りするエース大谷智久を擁し、決勝で鳴門工(徳島)に8-2と完勝した。
さらに今朝丸裕喜(現阪神)を擁して2023、2024年と2年連続準優勝したのは記憶に新しい。
夏も金村義明のいた1981年の第63回で全国制覇を果たしているが、決勝進出は同年のみ。今夏も兵庫大会で決勝進出したが、東洋大姫路に敗れた。
新チームは秋の大会を勝ち上がって来春センバツにつなげるか。「春の報徳」の活躍が楽しみだ。
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