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高校野球で復活狙う公立の古豪、東の上尾と西の八尾

2022 12/27 06:00SPAIA編集部
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県外校への野球留学も半ば常識に

高校野球界で私立校が勢力を伸ばして久しいが、最近は特にその傾向が強まっている。一時は批判の対象だった他県への「野球留学」も、最近は全国的に珍しくなくなった。

一定のレベルにある選手なら、いわゆる野球エリートとして地域に関係なく強豪校に進んだ方が、大学や社会人野球、プロ野球への可能性が広がることは事実だろう。「何が何でも地元の高校から甲子園へ行きたい!」と考える選手は減っているのかも知れない。もちろん、親や学校などの意向の場合もある。

そんな中、かつて甲子園を沸かせ、最近になって輝きを取り戻しつつある公立校もある。地元のオールドファンにとっては期待の星だろう。今回は埼玉・上尾と大阪・八尾を紹介する。

原辰徳の東海大相模を破って4強入りした上尾

埼玉県立上尾高校は1958年、上尾商業高校として創立。1960年、上尾高校に改称した。

野球部は1963年センバツに初出場。松阪商を破って初戦突破したが、2回戦で東邦に敗れている。夏初出場となった1974年は2回戦で敗退したが、上尾の名を全国に轟かせたのは1975年だった。

小倉南、土佐を破って迎えた準々決勝。相手は大会注目の強打者・原辰徳(現巨人軍監督)を擁して優勝候補に挙げられていた東海大相模だった。上尾は初回に先制したものの3回に追いつかれ、4回に勝ち越しを許す。

敗色ムードが漂い始めた8回、上尾は3点を奪って5-4と逆転。エースの今は原に計4安打を喫しながらも完投し、優勝候補を破る大金星を挙げた。準決勝では新居浜商に5-6で惜しくも敗れたが、堂々のベスト4だった。

1979年夏には初戦で牛島和彦、香川伸行のバッテリーで優勝候補だった浪商と激突。9回2死まで2-0でリードしていたが、エース仁村徹が牛島に同点2ランを浴びる。延長11回に勝ち越され、大番狂わせを演じかけた上尾はついに力尽きた。仁村は東洋大を経て中日入りし、牛島とチームメイトになった。

上尾は春3回、夏4回甲子園に出場しているが、1984年夏以来遠ざかっている。埼玉から公立校が出場したのも、1998年夏に西埼玉代表として聖地の土を踏んだ滑川が最後だ。

以降は浦和学院や花咲徳栄、聖望学園など私立校が独占しているが、2016年センバツの21世紀枠関東地区候補校に選ばれ、2018年夏の北埼玉大会で決勝進出(花咲徳栄に1-4で敗戦)、2021年秋季埼玉大会で準決勝進出(浦和学院に2-3で敗戦)するなど、甲子園まであと一歩のところまで来ている。

1952年夏の甲子園で準優勝した八尾

大阪府立八尾高校は1895年創立の伝統校。野球部も歴史は古く、甲子園初出場は八尾中学時代の1926年センバツだった。1931年センバツでは愛知商、小倉工、甲陽中を破ってベスト4入りするなど甲子園常連校の仲間入りした。

最高実績は1952年だ。エース木村保の力投でセンバツ4強入りすると、夏はさらに快進撃。盛岡商を6-0、松山商を4-0、長崎商を1-0と全て完封で決勝進出。木村はなんと大阪大会から10試合連続完封となった。決勝は芦屋に1-4で敗れたものの堂々の準優勝。木村は早稲田大を経て南海入りした。

しかし、その後は興国、明星、PL学園、浪商(現大体大浪商)、北陽(現関大北陽)、近大付、大鉄(現阪南大高)の「私学7強」に押され、甲子園は1959年夏が最後。春6回、夏4回出場しているが、もう半世紀以上、聖地から遠ざかっている。

しかし、最近は2018年夏の南大阪大会で準々決勝進出(3-10で上宮太子に敗戦)、2020年秋季大会で準々決勝進出(1-8で東海大仰星に敗戦)、2021年夏の大阪大会で準々決勝進出(0-3で興国に敗戦)と復活の兆し。大阪桐蔭と履正社の2強が君臨する上位を脅かしている。

大阪から公立校が甲子園に出場したのは1995年センバツの市岡が最後。夏は中村紀洋を擁した1990年の渋谷までさかのぼる。大阪桐蔭と履正社の2強体制を崩すのは簡単ではないが、伝統校・八尾の復活が期待される。

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