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高校野球の女子部員も甲子園でプレーを!野球人口拡大へ「変革の時」

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試合前の練習補助など女子部員も参加可能に

6日に行われる第104回全国高校野球選手権大会の開会式で、兵庫・三田西陵高の女子部員で主将を務めていた東尾凛さん(3年)が入場行進の先導役を務める。

東尾さんは、女子は公式戦に出場できない規定を知りながら入部し、男子と同じように練習に明け暮れ、主将まで務めたという。三田西陵は今夏の兵庫大会初戦で葺合に敗戦。チームを勝利に導くことはできなかったが、男子部員でも重責の主将を立派に務め上げた。

今大会から試合前ノックの練習補助や、試合中のボールパーソンに女子部員が参加することが可能になる。これまで女子は記録員としてのベンチ入りしか認められていなかったが、今回の措置に伴い、ボールボーイを「ボールパーソン」と名称変更。女子野球人口の増加やジェンダー平等の流れに高野連も追随したということだろう。

高まる女子野球熱

この流れ自体は歓迎すべきことだ。2016年夏の大会前の甲子園練習では、大分高の女子マネジャーがユニフォーム姿でノックのボールを手渡すなど練習補助をして、大会関係者から注意を受けたことがあった。

危険防止がその理由だが、まさか甲子園は「女人禁制」でもあるまいし、何より当人の気持ちを想像するといたたまれない。

最近はマネジャーではなく、自らプレーすることを望んで入部する女子も少なくない。巨人や阪神が女子チームを創設し、女子高校野球の決勝が甲子園で行われるなど、女子の野球熱は高まっている。

しかし、女子野球部のある高校はまだまだ少なく、仕方なくマネジャーとして入部したり、ソフトボールに転向したり、あるいは野球自体を辞めてしまう生徒もいるだろう。

そういった状況に直面しても諦めることなく野球を続けた東尾さんに、入場行進とはいえ甲子園の土を踏む機会が与えられたことは非常に有意義だ。

コロナ禍で痛感した「野球をできる喜び」

ただ、あくまで理想を言えば、やはり女子にもプレーさせてあげたい。男子と同じ練習を積み、技術と体力をつければ「危険」という理由は当てはまらない。実力があればレギュラーになるし、なければベンチに入れないだけの話だ。

新型コロナウィルスの感染拡大がもたらしたメリットがあるとすれば、世の中の全ては決して「当たり前」ではないと再認識できたことではないだろうか。野球をしたくてもできない状況は全ての球児や関係者を苦しめ、深く考えさせた。

人生で2度とない高校時代の3年間を完全燃焼できない悔しさや無念は、体験した当人にしか分からない。回避できるのなら、体験しないに越したことはない。だからこそ野球をできる喜びに感謝し、有難みが分かるのだ。

しかし、女子部員は試合に出たくても出られない。せっかく盛り上がりつつある女子野球熱に、大人たちが冷や水を浴びせるようなことをしていいのだろうか。

確かに男子と女子では体格差はある。男子と女子が同じグラウンド内でプレーするスポーツは少ない。とはいえ、男子と同等か、それ以上の実力をつけた女子を排除する理由はないと思う。ましてや「野球をできる喜び」を取り上げる権利は誰にもないはずだ。

丸刈りも廃止し、野球人口拡大を図るべき

高校野球が始まったのは1915年。今から107年も前だ。大正、昭和、平成を経て、令和となった今、高校野球の在り方も変わって然るべきだろう。

最近は長髪の球児を見かけることも増えた。以前は押しなべて丸刈りばかりだったが、少しずつ個性が認められるようになっている。

チームを統率するという大義名分のために、丸刈りである必要は全くない。「爽やかでいい」というのは大人たちのエゴに過ぎない。思春期の高校生の場合、丸刈りが嫌で野球部に入らない生徒もいるだろう。ただでさえ、野球人口の減少が叫ばれる今、どうすれば野球がさらに発展するのかを考えるべきだ。

高校の部活として教育的側面があるため、もちろん限度はあるが、甲子園で長髪をなびかせる球児がいたっていいし、女子という理由だけで制限される時代ではない。女子部員への「門戸開放」が今大会だけで終わらず、今後も形を変えながら野球界が発展していくことを切に願う。

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