77歳の名将も予想していなかったセンバツ出場
「春」は兆候もなく突然、やってきた。
「当日は日頃の練習をしていたんだけど、車が1台、2台と増えていくもんだから、おかしいな…と」
1月28日。選抜高校野球大会の出場校が発表される日であることは知っていた。だが選出は「全く考えてもいなかった」。思いも寄らない吉報に、大垣日大・阪口慶三監督の胸が震えた。
学校長から選出の事実を聞き、ナインの前へ。「良かったな」と一言、語りかけると、あとは涙があふれ、言葉にならなかったという。
「嬉しかったし、連れて行ってくれる子ども達に感謝ですね。(選出で)涙が出たことはあるが、あいさつできなかったことは過去にない」
東邦(愛知)時代も含め、甲子園大会出場は春夏通算33回目。監督生活56年目。幾多の修羅場を経験してきた77歳でさえも、感情は抑えられなかった。
議論を呼んだ選考理由
大垣日大としては11年ぶり4度目の春。しかしサプライズ選出は、当事者のあずかり知らぬところで波紋を呼ぶこととなる。
選考委員会において、昨秋東海大会準優勝の聖隷クリストファー(静岡)ではなく、4強の大垣日大が選出されたことを受け、賛否が渦巻いた。
「個人の力量に勝る大垣日大」「甲子園で勝てる可能性の高いチームを選んだ」。東海地区の選考委員長が挙げた選考理由も、論争を激しくする一因となった。選出以降、大垣日大には辞退を求める電話やメールが多数、寄せられたという。
日本高野連は選抜大会要項に出場校選考基準を「本大会はあくまで予選をもたないことを特色とする。従って秋の地区大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない」と明記している。学校はあくまでも選ばれる立場。大垣日大ナインは甲子園を目指して精一杯戦い、基準に則って選出されたことは紛れもない事実である。
34人の部員のうち、33人が練習場に隣接する合宿所で暮らしている。携帯電話の使用は自由なため、様々な「声」も耳に届く。その中、ナインは夢だった聖地に向け、実力に磨きをかけている。
昨秋公式戦で打率.375、1本塁打、8打点を記録。4番として、主将としての存在感を見せつけた西脇昂暉捕手(2年)は「秋は守備のミスで負けた。まずはそこを意識したい。日本一に向けて、魂を込めたプレーをしたい」と表情を引き締める。
歴代8位の甲子園通算38勝
かつては「鬼の阪口」と称された指揮官も「今は仏の阪口ですよ」と柔和な笑顔だ。野球に取り組む姿勢に、厳しさを求めることは以前と変わらない。実孫の高橋慎(1年)も特別扱いはしない。ただグラウンドから出れば、人が変わる。
孫と同年代の選手達と接するスタンスは「君らのおじいちゃんだよ」。ミーティングでは笑わせることを第一に考え、週に何度かは合宿所で寝食を共にする。「昔はオレに付いてこいだった。でも今は、甲子園に連れて行ってくれるか?」と時代とともに、接し方も変化してきた。
甲子園通算38勝。あと2勝で木内幸男氏(取手二、常総学院)に並ぶ歴代7位となる。さらにクラーク記念国際(北海道)の佐々木啓司監督とともに「昭和」「平成」「令和」の3元号で指揮を執る監督ともなった。
現チームについて「投手はそれぞれタイプが違うし、バランスが取れている。打線も長打はないが、切れ目なく、守備も安定している」と自信を持つ。生徒達と一緒に甲子園のグラウンドに立てる喜びがあるからこそ、個人的な数字に関しては「全く考えていない」と断言する。
大垣日大は過去3度の出場で初戦負けは1度もない。今春への推進力は77歳の名将と選手の団結。選出理由としてふさわしいかは別として、甲子園で勝ち上がる力は十分にある。
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