上宮と東邦が戦った1989年4月5日の頂上決戦
第94回選抜高校野球大会の出場32校が28日に決まる。「春はセンバツから」のキャッチフレーズ通り、球春到来を告げる球児の戦いを待ちきれないファンも多いだろう。
多くの名勝負があったセンバツの中でも、劇的なフィナーレだったのが平成になって初めての甲子園、1989年の第61回大会決勝だ。
大会屈指のスラッガー、元木大介を擁する上宮(大阪)は1回戦で市柏に8-3、2回戦で北陸に3-0、準々決勝で仙台育英に5-2、準決勝で横浜商に9-0と順当に勝ち上がって決勝進出した。
左腕・山田喜久夫を擁する東邦(愛知)も1回戦で別府羽室台に6-0、2回戦で報徳学園に3-0、準々決勝で近大付に3-2で延長10回サヨナラ勝ち、準決勝で京都西に4-2と競り合いを制して決勝に勝ち上がった。
上宮が勝てば初優勝、前年度準優勝の東邦が勝てば4度目の優勝となる注目の名門対決が行われたのは、1989年4月5日、春の優しい日差しが降り注ぐ甲子園だった。
出番を待っていた甲子園の「魔物」
試合は上宮の2年生エース宮田正直と東邦・山田の投げ合いで緊迫した好ゲームとなり、5回に1点ずつを取り合って同点のまま延長に突入。10回表、上宮は2死一塁から4番・元木が火の出るような強烈な打球をレフト前に運び、一、二塁とチャンスを拡大した。
続く5番・岡田浩一は山田のストレートを捉えて三塁強襲するタイムリーで1点を勝ち越し。強打の上宮がついに頂点に立つかと思われた。しかし、甲子園に棲む「魔物」は密かに出番を待っていた。
10回裏、東邦は先頭打者が出塁し、名将・阪口慶三監督は続く打者に強攻策を指示。バスターを試みたがセカンドゴロで併殺に倒れ、二死無走者となった。大歓声に沸く三塁側アルプスの上宮応援席と、意気消沈の一塁側アルプス。無残なコントラストが直後に逆転するとは、この時誰が予想しただろうか。
延長10回裏二死無走者からの逆転劇
全国制覇まであと一人。その重圧が2年生エース宮田に重くのしかかった。
続く打者にストレートの四球。上宮ベンチから伝令が出て、マウンドに内野陣が集まる。一塁側ベンチ前では同点を信じる山田が11回突入に備えて投球練習。にわかに大どんでん返しの緊張感が高まっていく。
次打者は三遊間へのゴロ。打球に追いついたショート元木は、とても間に合うタイミングではなかったが、深い位置から大遠投して優勝への執念を見せたものの内野安打となった。
2死一、二塁。再びマウンドに内野陣が集まり、宮田を励ます。上宮ベンチから急遽、控え投手がブルペンに走る。盛り上がる一塁側アルプス。次打者は3番の原浩高だ。これまで女房役として山田を支えてきた捕手に球史に残る打席が巡ってきた。
前年も3番として出場したものの準優勝。同じ轍を踏むわけにはいかなかった。宮田の初球、内角球に詰まりながらもセンター前に運ぶと、二塁から走者が生還して同点。バックホームされたボールを上宮の捕手・塩路厚がサード種田仁に送球し、一塁走者が二、三塁間で挟まれる。タッチアウトで延長11回に突入かと思われた瞬間だった。
二塁への送球が逸れ、セカンドが後逸したボールをライトがさらに後逸。白球が緑の芝生の上を転々と転がり、ラッキーゾーン付近まで達する間に走者が3点目のホームを踏んだ。
球史に残る劇的な逆転サヨナラ優勝。元木はグラウンド上に突っ伏して泣きじゃくった。ついさっきまで、ほぼ手中にしていた紫紺の大旗はスルリと逃げていった。
あれから33年。94回目の春はどんなドラマが待っているだろうか。新型コロナで閉塞感漂う現代に訪れる「球春」を日本中が待っている。
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