北京で「オグシオ」から「スエマエ」へ
2008年北京五輪開幕前から、日本バドミントン界は異常な盛り上がりを見せていました。
その中心にいたのが、「バドミントンの四文字ペア その歴史①」で説明した小椋久美子、潮田玲子の「オグシオ」ペアです。
2人ともスポーツ界きっての美人で、前年の世界選手権では銅メダルを獲得。北京でもメダルの期待が高まり、試合会場にはジャニーズ事務所のアイドルが取材に来る有り様でした。
ですが、いざ蓋を開けると、北京五輪で輝いたのはオグシオではありませんでした。末綱聡子と、その5学年下の前田美順(みゆき)による「スエマエ」が話題をさらいました。
もともとは日本3番手
おそらく、バドミントンに詳しい人以外は、その存在を知らなかったと思います。
北京五輪に出場した日本の女子ペアは2組でオグシオとスエマエでしたが、前年まではスエマエは日本の3番手。日本から最高でも2組しか出場できない状況で、最後の最後に出場権を獲得したペアでした。
だから、その当時、スエマエをオグシオの「ライバル」というのは少し違っていたかもしれません。ずっとライバルだったのは、赤尾亜希、松田友美のペアです。オグシオにも互角以上の戦いをするペアだったのですが、五輪出場はかないませんでした。
ちなみに赤尾、松田ペアの愛称は「アカマツ」。やはり4文字で表されていました。
その名を知らしめた北京五輪
スエマエの名前を世に知らしめたのは、北京五輪準々決勝でした。相手は2004年アテネ五輪金メダリストの中国ペアを相手に、逆転勝ちで日本バドミントン界史上初のベスト4進出を果たしました。金メダリスト撃破、それも完全なアウエーで中国選手に大逆転勝ち、さらには勝った瞬間の劇的な喜び方。すべてにインパクトがあり、スエマエの勝利の写真は新聞の1面を飾りました。
突如現れた感じがするスエマエですが、直前から好調を維持していました。北京五輪の全日本実業団選手権では団体戦で対戦したオグシオに勝利。国際大会でも結果を出していました。
勝ち気な性格がようやくプラスに
なぜ、国内3番手から急に力を伸ばしたのでしょうか。
末綱のゲームをつくる能力、前田の決定力、そして、ダブルスのコンビネーションはオグシオより上だったかもしれません。それでも、なかなか日の目を見なかったのは、2人の性格にあると言われていました。
2人はとにかく、気が強い。磁石の同じ極同士がぶつかるイメージです。衝突を繰り返しては、口をきかない時期もあったと言います。
そんな2人ですが、目標は勝つこと。その中で、互いのミスにいらついていましたが、よくよく考えれば、勝ちたいという気持ちがぶつかっていただけでした。そこをわかり合ったとき、彼女たちは真のペアとなり、持っている力を発揮できるようになりました。
4文字のバトンは後輩に
さて、前回五輪の金メダリストを破り、一躍注目の的になったスエマエ。メダルまであと一つ勝てば、というところになりましたが、準決勝では韓国ペアに競り負け、3位決定戦では中国ペアに敗れ、日本バドミントン界初の五輪でのメダル獲得はなりませんでした。
それでも、北京五輪後にペアを解消したオグシオに代わり、スエマエは日本のトップペアに登りつめました。2011年の世界選手権で銅メダルを獲得。日本史上初のメダル獲得を目指し、2012年のロンドン五輪に挑みます。
が、ロンドン五輪は非情な結末が待っていました。さらに、ロンドンで活躍したのは彼女たちのチームメートでもる後輩のペアでした。
男子も4文字です
話が少し横にそれますが、女子だけでなく、男子のペアも4文字で言います。
北京五輪では男子ダブルスに池田信太郎、坂本修一のペアが出場しました。
彼らは2007年世界選手権で日本男子史上初のメダルとなる銅メダルを獲得。同じ大会で銅メダルを獲得したオグシオの陰に隠れてしまいましたが、相当の実力を持っていました。
池田、坂本ペアの愛称は「イケサカ」でした。一般の方にはあまり知られることのなかった愛称ですが、北京五輪後にペアを解消した池田は、その後に名を知られることになります。
オグシオを解散した潮田と混合ダブルスのペアを組み「イケシオ」として活躍します。(続く)
Next:バドミントンの四文字ペア その歴史③「フジカキ」編