9秒台への期待はほかの選手にあった
2013年、男子短距離界は日本人初の9秒台への期待が高まっていた。
前年の2012年ロンドン五輪では、当時慶応大2年だった山県亮太が10秒07をマークして準決勝に進出。日本選手権4連覇中の江里口匡史とともに、9秒台を出すのではないかと言われていた。
その頃、日本陸上競技連盟強化委員会の男子短距離部長で、当時の日本記録(10秒00)を持っていた伊東浩司氏は、マスコミに言っていた。
「新聞の1面をあけて待っていて下さい」
2013年4月の織田記念。短距離の本格的な幕開けとも言えるこの大会で、マスコミの注目は山県と江里口だった。だが、指導者たちの間には桐生の成長を感じ取る声もあった。直前の日本陸連の合宿で、桐生はほかの選手たちに速さを見せつけていたのだ。
とはいえ、マスコミをはじめ、一般的な注目は山県と江里口。桐生が10秒01をマークした予選3組は筆者だけでなく、多くのマスコミはほかの選手のコメントをとっていて、桐生の走りを見ていなかった。「10秒01」が表示され、場内が騒然になったことは今でも覚えている。
桐生を巡る、そして、日本男子短距離界を巡る、9秒台への狂騒曲が始まった瞬間だった。
夢のようだった10秒01
レース後、桐生に聞いた。
「走っていて、これまで何か違うと思うことはあったのか?」
桐生曰く「スタートして、顔を上げたときにゴールが近く感じられた」
スタートダッシュは、歩数にして15歩、距離にして約30メートルになる。そこで体を起こして前を見た時、桐生は不思議な感覚、つまりはゴールが近くにあるという感覚に襲われた。彼が経験したことのない未知のスピードに突入した証拠だった。
「軽く前に進んだ。もしかしたら9秒台かと思った」と当時の桐生は語っている。10秒0台で走ったこともなかったのに、9秒台だと思ったのだから驚きである。
電光掲示板が表示したタイムは10秒01だった。桐生は右拳を握りしめた。
「夢のような記録。気持ちよかった」
高校2年生で10秒19という17歳以下の世界最高をマークした桐生は高校3年生での目標を「10秒1台前半」としていた。彼の描いた成長曲線は、己の想像をはるかに超えていた。
この10秒01の時の、桐生の走りはデータとしての残っていないが、この日の決勝で10秒03をマークした時のデータはある。
そのデータによると、40~50メートルで最高速の秒速11・63メートルに達していた。多くの日本人選手は50~60メートルでトップスピードになり、速くても秒速11・5メートル。地面をうまくとらえ、より早い段階でより速いスピードに乗るという桐生の特長が現れたレースだった。
レース後、桐生はこんなコメントを残している。
「ボルトと走って、何が違うのかを知りたい。9秒台を目標に頑張っていきたい」。
ここから、桐生の9秒台への苦しみが始まる。
(続く)