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歴史と伝統のあるマラソン大会「びわ湖毎日マラソン」を解説

2017 7/10 10:25茶色野うさぎ
マラソン
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Photo by JaySi/Shutterstock.com

日本のマラソン大会の中でも、歴史と伝統という点では「びわ湖毎日マラソン」が一番だ。マラソンファン以外には、あまり知られていない「びわ湖毎日マラソン」について解説する。

びわ湖毎日マラソンの歴史

滋賀県大津市にある皇子山陸上競技場をメイン会場に開催される「びわ湖毎日マラソン」は、第1回が1946年という非常に歴史のあるマラソン大会だ。しかし当初は「全日本毎日マラソン選手権」という名前で、大阪で開催されていた。
大阪市の毎日運動場をスタート、御堂筋などを経由して戻ってくるという形だった。その後、毎日新聞社前が発着点となり「毎日マラソン」という名前が定着する。大阪市内の交通事情にともないコース変更を続けるが、1962年の第17回大会から滋賀県に変更、1965年の第20回大会から現在の皇子山陸上競技場で開催されるようになった。

アベベも走ったびわ湖毎日マラソン

マラソンの歴史に残る名ランナーたちも、びわ湖毎日マラソンに参加している。その中でも一番インパクトがある選手はやはり「裸足のランナー、アベベ・ビキラ選手」だろう。
1960年のローマオリンピック、アベベ選手はエチオピアの代表として男子マラソンに出場する。当時はまったくの無名、しかも使っていた靴が壊れたためしかたなく裸足で走ることにした。誰も注目しない中で当時の世界記録となる2時間15分16秒というタイムで金メダルを取る。
そんなアベベ選手は1964年の東京オリンピックの下見を兼ねて、1961年の毎日マラソンに出場する。このときは気温27度など悪条件が重なり、2時間29分27秒というタイムだった。

びわ湖毎日マラソンで巡る観光地

びわ湖毎日マラソンでは、滋賀県大津市の観光名所を巡るコースが設定されている。皇子山陸上競技場をスタートするとJR大津駅の前を通過、その後は琵琶湖を左手に見ながら走る。
すぐに見えてくるのが「びわ湖花噴水」で、いろいろなパターンで美しい軌跡を描く巨大な噴水アートを楽しめる。続いて滋賀県の芸術の拠点である「びわ湖ホール」を通過、「近江大橋」が見えてくる。さらに走り続けると今度は歴史的な名所である「瀬田の唐橋」や国宝に指定されている「石山寺」を巡って折り返しとなる。

日本代表選考の舞台でもあるびわ湖毎日マラソン

びわ湖毎日マラソンは男子マラソンの代表選考の舞台として、日本のトップランナーも参加する大会となっている。日本のマラソン選考は複数の大会の中でタイム、レース内容を考慮して決定されるというもので、びわ湖毎日マラソンでも代表をめぐっての激戦が展開される。
古くは1988年、瀬古利彦さんが福岡国際マラソンを回避してびわ湖毎日マラソンで優勝、代表に選考されたことをめぐって物議をかもすといったこともあり、いろいろなドラマを生む舞台となっている。

厳しいレースとなった2017年のびわ湖毎日マラソン

2017年3月5日に開催されたびわ湖毎日マラソンは、なかなか厳しいレースになった。ケニアのチェビー選手が1位で2時間9分6秒という平凡なタイムに終わった。日本人では期待の若手、一色恭志選手が途中でリタイヤ、村澤明伸選手は中盤まで順調に飛ばすが後半で失速、最後はふらふらになりながら2時間17分51秒でフィニッシュと厳しい現実を突きつけられた。びわ湖毎日マラソン特有の、終盤の向かい風が選手たちを苦しめたようだ。
日本人トップになったのが粘りの走りを見せた佐々木悟選手で、2時間10分10秒で全体の4位という結果だった。ケニア人選手も苦しむコンディションだったが、日本人選手の粘り強さがもう少し見たいと感じさせるレースとなった。

まとめ

歴史と伝統のあるマラソン大会・びわ湖毎日マラソンについて、詳しく解説した。場所やコースを変更しながらも長い期間続いている大会であり、多くの人から愛されている事がわかる。琵琶湖の名勝と風、一流ランナーの熱気を感じられるのは、びわ湖毎日マラソンだけだ。